新潟県一般県道137号
天神林上条線 未開通区間
第9部(完結編)

2020年11月14日 探索・2021年1月29日 公開

そういえば、先ほど現道を進んでいるときに発見した看板があった。昔よく見かけることが出来た、金属製のヤツだ。探索をしていると看板自体は珍しいものでもないのだけど、今回は初めて見るものだったので紹介しておきたい(読まれている方々の中には、見かけたことがある方もいらっしゃるかもしれないが)。なかなか可愛い看板だ。その看板とは…


これだっ!

リスさんが町火消の纏(まとい)を持って「たばこの投げすてはやめましょう」と言っている。なんとも愛らしい看板だが、よく見ると上下左右の隅に穴が開いており、今はその左右の穴に針金を通して電柱に括りつけてあるが、本来は釘か何かで固定されるものであったらしい。昔は木製だった電柱か、あるいは森林国営保険と言うことから木に固定されてあったとかだろう。

ところでこの「森林国営保険」、帰ってから少し調べてみると、その起源は1937年(昭和12年)当時の国策の一つ「災害防除対策」の中に設けられた森林火災国営保険まで遡る。その後、台風被害等が多発したことから1961年(昭和36年)に風害、雪害などの気象災害が保険の対象に加えられ、この時に保険の名称も関連する法律の名称も「森林国営保険」に変更、さらに1978年(昭和53年)には噴火災害が対象に追加され、2014年(平成26年)を以って保険の主体が林野庁から独立行政法人森林総合研究所に移管、現在は国営ではなくなっている。
と言うことで、この看板は1961年(昭和36年)以降のものと言うことになるが、昭和でも50年代のものではないだろう。と言うことで意外に古かったこの看板、私が1971年(昭和46年)の生まれなので、そう考えると50年近く「たばこの投げすてはやめましょう」と訴えてきたことになり、歴史を感じる。



森林国営保険の看板をひとしきり眺めたり撮影したりして堪能したあと(笑)、前章の最後で出てきた「名前がない小さい橋」でウロウロして悩んで(←不審者(^^;)、ひとまずこの先にある橋まで行こうと自転車に乗ってのんびり進み始めたその瞬間、左側に立っている民家の道路側の斜面に見覚えのある標柱を見つけた。思わず自転車を飛び降りて近寄ったのは言うまでもない(笑)。
確認すると、なんと「新潟縣」の文字が!。しかも旧字体の「縣」じゃないか!。チェンジ後の画像はその標柱を拡大したもので、文字がはっきり判読できると思う。

ところで、この旧字体の標柱がここにあるということは、それは県道指定された最初のときから現道が県道だったことを示している。この「縣」の文字は、1949(昭和24)年4月28日の「当用漢字字体表」によって1850の漢字が旧字体から新字体に変更になった中の旧字体に入っており、この時に現在の字体である「県」に公式に切り替わっていて、こういった標柱など自治体が設置するものに関しても(字体の変更時期に若干ズレはあったかもしれないが)概ね数年以内に切り替わっていると思われるからだ。したがって、この付近の「最初はどの道が県道だったのか?」という問題に関しては、継続調査としたい。

(この地図は、国土地理院発行の5万分1地形図 明治44年測図大正3年発行 加茂を使用し、一部注釈を加えたものである)

少し先へ進むと、三差路に辿り着いた。この交差点は1914年(大正3年)の地図にも記載されている交差点で、右に行くと長福寺橋、左に行くと神社に出る、集落の中でも中心的な交差点だったようだ。そこに今、私は立っている。探索当時はこの道の歴史もわからず単純に通っていただけだったが、こうして書いているとやはり歴史の重さを感じてしまう。だって、こうして撮影した何気ない交差点が1914年(大正3年)から同じ位置に存在して、この長福寺集落の中心的な交差点だったと誰が想像できるだろうか?。
この先に神社があるということは、祭りの季節にはここに縁日の屋台が出たかもしれないし、集落の若者たちがここで青春してたかもしれない。そう思うと、実に感慨深いものがある。


現道を進んでいくと、この場所に出る。これは現道の長福寺橋で、まさしく上の地図での長福寺橋の場所と同じ位置に架けられている橋だ。ここから見ると、どう見ても左側の「川を渡らない道」の方が旧道のように見えるし、私もそう思ったクチなのだが…実際には現道の方が指定されていたと思われる。上の地図では、現在の県道の方が「聯路(れんろ。およそ2メートルの道幅)」となっていて、川沿いの道は「間路(かんろ。およそ1メートルの道幅)」。ここでもやはりメインの道路は現道だったという可能性が高くなってきた。でもなぁ…(←諦めきれない)。



最後に、長福寺橋を過ぎて若宮公園の駐車場に停めてある車に戻っている時に、右側の斜面に石碑を見つけた。その石碑は正面から見ると文字が消えてしまっていて、何の石碑かはわからないが、碑の横を見ると「明治廿十〇」、次の列に「七」の文字が見える。いずれにしても明治に建立された石碑であることは間違いないだろう。これだけでも、この道の歴史の深さが垣間見える。

どの道が県道だったのか。その解明は継続調査となってしまったが、今までの道と同じように時間はかかっても解明できると思う。なので、ここはいったん完結としたい。新しい事実が判明したら、すぐにここでお知らせしたいと思う。

直感で偶然に見つけたこの道は、実に面白い道だった。未開通区間となっている未舗装の道はもちろん、箱庭のような合流点や美しい紅葉など、今でもその景色が目に浮かぶ。こういった美しい道の姿が、これから先後世に永く残っていくことを願ってやまない。そしていつか、また私と同じようにこの道を通り、その景色に感動してくれる人がいますように。

新潟県一般県道137号
天神林上条線 未開通区間

完結。