山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 荒沢隧道

第8部(完結編)

「光の道、暗の道」

2023年10月14日 探索 2024年3月26日 公開

光の道、暗の道

「仕方ない、ベースに戻るか…」一人、そう呟きながら現道を辿って旧道の分岐点の方向へ歩いていく。この画像は現道を辿り始めた直後の橋の上から撮影したものだ。前回、第7部での画像とは別の画像で、この画像はおそらく荒沢隧道の笹根側坑口を捉えている。今、坑口がどうなっているか直接見ることは出来ないが、雰囲気だけは掴める気がする。ここを数多くの車が飛び出してきて、この風光明媚な風景を横目に見ながら旧道は現道と交差して、笹根隧道に向かっていたのだ。現道時代はさぞ美しい光景が目の前に広がっていたことだろう。私もその風景を見たかったと悔やまれる。

現道の荒沢トンネルを通って、ここまでやってきた。山側を見上げると、目の前にこんな風景がひろがる。右側の沢の上に見える小さな橋は第4部で紹介したこの橋のことだ。短くて、しかも目立たないように設置されたこの橋は「中山橋」。その橋の下には、同じく第4部で紹介したあの滝を起源とする沢。中山橋が、この沢を通すためにかけられた橋だと言うことが、これで明確になった。おそらくは荒沢隧道の坑口の脇に流れていたあの流れも、その水をこの沢と共にしていることだろう。その左隣に見えるのは「隧道への回廊」で主役になった、あのスノーシェッドの横の姿が見える。

森の中に、まるで以前からそこにあったかのように存在するスノーシェッドは、自然に溶け込んでいて実に美しい。人工の構造物であっても、己の懐に取り込んでしまってまるで以前からあったかのように見せてしまう自然の力と言うのは、実に偉大なものだと改めて感じる。

スノーシェッドは正面から見ると幾何学的で美しいが、実は側面から見ても十分に美しい。それを証明してくれるかのような光景だ。きっと竣功当初は、自然の中の斜面に忽然と現れた、真新しいコンクリートの白さが一際眩しい人工物だったと思う。9月と言う季節柄、まだまだ下草も緑も深く、山の斜面は一面緑に覆われる時期だが、その中でも控えめに存在を主張するスノーシェッド。見ていて飽きない。

隧道への回廊の入口付近を眺めてみる。左の木が目印になって、これが回廊の入口付近だと言うことを教えてくれた。青空と緑のコントラストが目に眩しい。現道とほぼ平行して走っている旧道で(そんな旧道はあちこちにあるが)、ここまでその存在をわかりやすく見せてくれている旧道もまた珍しい。これも、この旧道が廃道ではなく道としてまだ存在していて、定期的に必要最低限の保守を受けているからに違いない。この風光明媚な道を現道があるからと言って放棄せずに、出来る限り護っていただきたいと思う。

山の中に忽然と現れるスノーシェッド。きっと竣功した当初はこんな感じだったんだろうな。ある意味目立ってしょうがないし、その存在をしっかり主張しているようで面白い。やっぱりシェッドと言うのは道と違って、そこに大掛かりな構造物があるだけに、目立ちやすいし残りやすい。

さて、ここから少し先に進むと、車が置いてあるベース地点に戻ってしまう。これから次の笹根隧道の探索が待っているので、あらかじめ決めてある次のベース地点に向かうことにしよう。この荒沢隧道も、中は通れなかったものの思い出に残るいい隧道だった。それに、そこに到達するまでの道程も記憶に残る道だった。
目を閉じると、ある風景が目の前に広がる。それは…

隧道への回廊、あの風景。この方向から進むと非常に明るい道に見えるが、逆から通ると暗い道になるという、行き帰りで道の印象が異なると言うことを改めて教えてくれた道でもあった。それはまるで表裏一体、光の道、暗の道。ここから見える景色はとても明るく、路面にはどこからか転がってきた落石だろうか、細かな石の破片もはっきりと確認することが出来る。

そこそこに朽ち果ててはいるものの、道路としての機能はちゃんと保たれている道。旧道になった今でも、道から見える風景が忘れられずに、この道を通る人が少なからずいるのかもしれない。旧道になっても、今もなお人を引き付ける。それは旧道や廃道の人生(道生?)にとっては幸せなことなのかもしれんなぁ…と思いつつ、この道の風景を心に刻んで、私は次の隧道へ向かう。

…なんて堅苦しいことを言ってみたものの、この一連の旧道たちには似合わないだろうなとも思う。笑われてしまうかもしれない。

さぁ、探索は次の笹根隧道へ!。

山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 荒沢隧道

完結。