山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 荒沢隧道
2023年10月14日 探索 2024年2月23日 公開
10月14日。この日は鉄道の日で有名だ。
私が鉄道好きでもあることは、これまでのレポートの中でちらほら書いているのでご存じの方も多いと思うが、この日がなぜ鉄道の日なのか。
1872年(明治5年)10月14日。鉄道唱歌の第1集第1番で「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として~」と唄われたこの一節で有名な新橋駅と横浜駅間に、日本で最初の鉄道が開通したのがこの日だ。今では毎年10月14日が「鉄道の日」となっている。
その「鉄道の日」に、私は山形県鶴岡市荒沢と言う場所にいた。
事の発端は、前回行った大針洞門の探索だ。この時の探索は往路の寄り道で鍋倉トンネル旧道、復路の寄り道で小名部トンネル旧道と、私にとって最近では実に充実した探索の一日だったのだが、戻って画像を現像しているときに、何か補足のネタはないかとネットでいろいろ調べものをしていた時だった。
大針ロックシェッド(大針洞門の正式名称)の近くに、廃道と化した山奥に3連隧道があるとの情報を見つけてしまったのだ。
おいおい、今日行ったばっかりじゃねーか…
しかも近くまで行っていたというのに!。
と言うことで、私はPCのディスプレイの前で叫ぶことになったのだった。
これは何が何でも行かねばなるまい。しかも廃道で、かつ三連隧道となればなおさらだ。
さっそく場所を確認してみよう。と言うことで、毎度おなじみの地理院地図である。
実は今回の探索区間は、Yahooマップには載っているものの、御覧のように国土地理院の地形図には道らしきものは一切記載されていない。と言うことは、この区間は確実に供用廃止を行ったということだ。
道路の路線や、道路の一部を道路法の道路ではなくすときには、その状況に応じて路線の廃止や道路の区域の変更、供用の廃止が行われる。これは道路を一般交通の用に供しなくする廃道の場合や、新道が建設されて旧道が国道から県道や市道になったりする管理移管の際にも行われる。また、路線の一部を変更したり廃止するときには、変更したり廃止される道路の区域が明確でないため、供用廃止の公示を行う必要がある。
なるほどな。だが、よく見てみると隧道の前までは供用の廃止は行われておらず、今でも現役の道として使われているようだ。隧道の中も通れるといいんだけどなぁ。何はともあれ現地に行ってみよう。話はそれから!…と言うことで、前回の探索から2週間後。私は再び山形県鶴岡市に向かうことになる。
と言う訳で、現地。
前回は往路も復路も一般国道345号を使ったが、今回はなるべく寄り道をしないように往復に日本海東北道を積極的に使い、およそ三分の二の時間でここまでやってきた。半月前に探索した大針洞門を横目に田沢と言う集落を過ぎ、更に先へ進むと車の通りも少なくなり、山の中を貫く道と言った様相だ。
ここは県道349号。山形県と新潟県を繋ぐ県道で、東日本最長の県道でもある。その全長は優に50キロを超える。もっとも県境付近は災害が多発し、今でも新潟県側は通年通行止めになっている。これが開通すると、鶴岡までの道がぐっと楽になるんだが。
この349号、この道はもともとはスーパー林道であり、森林開発公団が進めていた道である。似たような道に大規模林道と言うものもあり混同されやすいので、ここで大規模林道とスーパー林道、およびその背景について少し書いておこう。
この349号の前身の朝日スーパー林道は、もともとは高規格林道として1971年(昭和46年)7月着工、それから実に12年の歳月をかけて1983年(昭和58年)10月に竣功し、後に新潟県一般県道・山形県一般県道349号鶴岡村上線となって、全線が新潟県・山形県の管轄となった道だ。その全長は実に52キロ、現在では東日本最長の一般県道となっている。このスーパー林道は完成後に地元市町村などへ管理が移管されたため、現在では全体像を俯瞰することが難しい。元々は林道以外の目的も期待されて建設が推進されていたこともあり、市町村道や県道、部分的に国道へ昇格した道もあるほか、有料観光道路化したものもある。
このスーパー林道は、後述する大規模林道と比較すると道路の造り方が根本的に違っており、高規格とは言うものの、それは一般の林道と比べての話で、幅員は対面通行二車線の幅(4.6m-5.0m程度)で未舗装の道路も多かった。今は一般県道となった朝日スーパー林道でも、未舗装区間は存在している(2021年5月現在)。このスーパー林道の建設主体は旧独立行政法人緑資源機構の前身、森林開発公団が担当していた。
これに対し大規模林道とは、スーパー林道と同じく旧森林開発公団や旧独立行政法人緑資源機構が1973年から全国7ヶ所の森林地帯で建設を進めていた幹線林道のことだ。この大規模林道は、林道と言う名称がついてはいるが実は2車線(対面通行)で舗装された立派な道路で、途中で緑資源幹線林道と名前を変えて細切れの完成区間が全国各地に点在し、道路やトンネル、橋梁が建設され、その一部は未成道として放置されているものもあると聞く。道路として少しでも地域や通行者の役に立ったのならともかく、一度も使われることなく放置されてしまった道路構造物は自然に還ることはなく、そのまま存在し続ける。そのことに一抹の寂しさを覚えてしまうのは、私だけだろうか。
ところで、この林道の建設については後に談合が発覚して世間を大いに賑わせた。これが緑資源機構談合事件で、旧森林開発公団、後の緑資源機構が人目にふれない山奥で「密かに(コソッと、とも言う)」建設が進められていた緑資源幹線林道(これの旧名称が大規模林道だ)を舞台にした談合事件のことだ。当時農林水産大臣だった松岡利勝氏など3名の自殺者と6名の逮捕者を出し、最終的に4法人と機構の元理事7名が起訴されるという、非常に大掛かりな談合事件となった。その舞台となった緑資源機構は後に解体され、その事業の一部は現在、国立研究開発法人森林研究・整備機構の所管となっている。
こうして時の建設主体に振り回された大規模林道とスーパー林道。現在でも建設だけ行って、使用されることなく森の中に眠り続ける数多くの道の遺構たちのことを思うと、非常に悲しい気持ちになってしまう。
ここまでではないが、現地に立って分岐点を眺めながら同じようなことを想った。時の政治の具となり振り回され、談合事件の隠れ蓑にもなった道。本来はそんなことで造られる道ではなかったはずだ。今は山中でひっそりと佇む、道のかけら。探索を終えて自宅に戻ったら、そのかけらたちのことを想って酒でも飲むか。
さて、ここだな
探索のベースとなる車は、旧道に入ってすぐのところに停めてある(ここからは見えないが)。現道がさほど勾配なく走っていくのに対して、旧道はここから見える分岐点から左に入ると、山中を通り一気に標高を上げていく。上り坂が続くだけに、今回の探索は自転車を使わずに全て歩きだ。その方が旧き道から見た景色もちゃんと見えるし、何よりも気持ちいいもんね。毎度おなじみヘルメットに長靴、今日はエース機のD90を装備して、探索の開始だ。
さぁ行こう!