一般国道8号
赤田トンネル旧道
曾地峠
 第8部
(完結編)

2020年8月13日 探索・2020年9月27日 公開

短いと思われた今回の探索もそこそこに長く、特に現道の下を潜るボックスカルバートとコルゲートチューブの組み合わせには驚かされたが、曾地の集落に入る前に今一度、曾地峠の方角を眺めてみた。規則的に電柱が並ぶ中心の建物は、今でも採掘が続けられている石油かガスの井戸で、過去には沖見峠から曾地峠までの一帯が西山油田と呼ばれたが、それが今でも現役であることを教えてくれる。手前の田圃は新潟県特産のコシヒカリの田圃で、あとひと月もすれば稲穂が実って重そうに首をたれ、この辺り一帯が金色の草原になっていることだろう。
余談だが金色の草原と言えば、非常に有名なアニメ「風の谷のナウシカ」のラストシーンで、怒りに暴走した王蟲(オーム)に弾き飛ばされたナウシカは子供の王蟲がきっかけでオウムの怒りを無くし、金色の草原を歩くシーンがあるが、この金色の草原は稲穂とも受け取れるのでは?と書きながら愚かなことを考えてしまった(金色に光っていたのは王蟲の触覚)。

旧道は曾地の集落の中へ入っていく。集落の中なので画像は多く撮影しなかったが、用水路が集落の中を流れている風景は非常に懐かしく、また今の時代では新鮮でもある。私が小さい頃に住んでいた福岡県の外れの集落もこんな感じで、同じように集落の中のあちこちを用水路が流れていた。この用水路で農機具を洗ったりしていた風景を覚えている。この集落の中を流れる用水路と言うのは日本の原風景であり、山から湧き出して川になる豊かな水と、その恵みをくれる山に感謝しながら生活していたんだなぁと、しみじみ思ってしまった。

そんなことを思いながら進んでいると、すぐに現道の国道8号との合流部に辿り着く。やはり思った通り非常に地味に旧道が分岐し、また合流していたようで、ここを一見するとまさかこの脇道が国道8号の旧道で、曾地峠まで続き、更に赤田トンネルの旧道になっているなんて誰が思うだろうか。だが、この合流部に立って改めてその道の先の風景を眺めてみると、左は一直線に現在の道の作り方だが、右の旧道は宿場町を思わせる狭さと雰囲気になっている、事実、この曾地の集落は山越えの宿場町だったようで、ここから長岡へ向けて峠を越える準備や、長岡から峠を越えてきた旅人が身体を休める場所だったのだろう。沖見峠で言えば妙法寺集落のような存在だ。と言うことは、明治天皇もこの道を巡幸されたはずで、こうして一見するとただの脇道に見える道が、実はすごい歴史を持っていると言うのは非常に面白いし、これだから旧道探索はやめられない。

ところで、実はこの合流部には用水路が流れており、この用水路は曾地集落の中を流れている用水路も合流しているのだが、そこに現道、旧道ともに橋が架かっている。この橋は簡単なコンクリートの桁橋なのだが、ちゃんと名前がついていて、それがこの「曽地橋」と言う。おそらく、現道を作る際にすべての起点となったのはこの橋からだったのだろうと言う気がする。なので、用水路を跨ぐ小さな橋にも関わらずちゃんと名前を付けて、おまけにこんな表示板まで設置したのかな。ところで、この曾地橋の袂にはこんなものがあって…

今はもうあまり見なくなってしまった、懐かしい「建設省」の標柱だ。この建設省は現在は国土交通省となっているが、この省庁は総務省、厚生労働省と並んで私たちが生活する上で一番近い省庁ともいえる。また、ここでもお世話になる地理院地図の発行元である国土地理院も国土交通省の特別機関で、私も旧版地形図で非常にお世話になっている(笑)。ところで、ここには2本の標柱が見える。一本は正面に見える「建設省」と刻まれたもの。もう人つぃはその左横に頭だけ出して「建」の文字だけ見える標柱。どことなくこちらの方が古そうで、貫禄みたいなものを感じるのは気のせいか。


普通であれば、ここから机上調査編に入るが、机上調査はこの曾地峠編のプロローグと、新潟県一般県道393号沖見峠トンネル旧道編でしこたまやってしまい、同じ内容をなぞることになるので、ここはすんなり終わることにしよう。

今回探索したこの曾地峠と、前回探索した沖見峠は深い関係を持つ峠道だ。この二つの峠に関わることによって西山油田の事柄も、明治天皇の北陸御巡幸も知ることが出来た。沖見峠の油田側分岐点や曾地峠の合流点がそうであったように、実は一見何の変哲もないただの分岐点であっても、掘り返してみると実は深い歴史を持つ旧道だったりする。

旧道や廃道、隧道と、そこを通った人々に
光を当てること
その道の記録者であること
そして、その道の一瞬の風景を伝えること

これから先、どんな道に出会うかもわからないが
これだけは変わらずに伝えようと思う。

一般国道8号
赤田トンネル旧道
曾地峠

完結。