一般国道7号旧道
蒲萄峠 第5部

2018年9月6日 探索・2018年9月10日 公開
2018年10月21日 加筆修正

蒲萄峠を越えて、道は一気に下りへ。峠を上下で巻くように、緩やかな勾配のつづら折りで降りていく。この画像の道は左上から下ってきて手前側で大きくカーブし、左から右下へ抜けている線形である。

まさしく、こんなヘアピンカーブが連続するのだが、これは道の勾配をなるべく緩やかにするため、こうしてつづら折りにして勾配の緩和を図ったもの。ここを馬車や牛車が下っていた光景を想像していただけると、この道形の意味が理解いただけると思う。但し、全体の距離はどうしても長くなる。画像では右から下ってきて、左に抜けている。

広い道幅に緩やかな勾配とカーブが続く道。こうして見ていると実に落ち着く、私の好きな風景の一つ。こういうところをのんびりと歩いてみたいものだ。…と言いつつ、今のんびりと探索しているのだが。

ふと横を見ると、丸い石を乱積みにした石垣を発見!。おおっ!と私が喜んだのは言うまでもない(笑)。
城壁などはともかく、道路に使われた初期の石垣はこうした丸い石を積み上げた石垣だった。多少崩れてはいるものの、今でも路肩側の斜面を守っている。

ここも勾配は緩めに、カーブはきつめにのヘアピンカーブ。左から下ってきて右に降りている。ここに立ってカーブを眺めていると、馬車や牛車の光景が思い浮かぶ。下るときに荷物が多かったりすると、下る速度を抑えるのに大変だっただろうと思ったりする。木漏れ日が差し込んで明るいこのカーブを過ぎると…

蒲萄峠の終点、矢葺明神のそばに到着である。矢葺明神の前から、今通ってきた蒲萄峠への道を眺めてみる。初回訪問時はここから通行止めになっていた。ところで、ここから見る右側は養殖をされておられる方の私有地となっており、立ち入り禁止となっているので、立ち入らないように注意だ。

ここが矢葺明神。前回はアブが非常に多くて撮影できなかったが、今回は少なかったから助かった。
ここは新潟県と村上市の手によって「明神岩保全地域」に指定されており、明神岩を含むこの周辺一帯の環境が保護されているようである。それよりも、ここもちゃんと番地が設定されていることに驚いた。村上市蒲萄矢吹1154番1と言う番地のようだ。

鳥居を見ると「漆山神社」とある。これを見ると矢葺明神の別名は漆山神社というようだが、蒲萄峠の入口にあった案内板も何もかも「矢葺明神」となっている。それがなぜかはわからないが、本名が多少肩身が狭いようだ。

そして、前回撤収地点の明神橋。前回書いたので詳しくは避けるが、橋を渡って正面の突き当りを左に進むと大毎峠方面。右に進むと、これが松尾芭蕉の歩いた道で、この道は山間を進んで大沢集落を通り、大毎峠旧道が現道に合流する手前に繋がるようになっている。

右へ進む道を撮影してみたが……バイクなら通れそうだなとよからぬことを思ってしまった。
こういった道は、やはり徒歩で通りたいものである。

こうして、最初に訪れた時には通れなかった蒲萄峠の部分を、無事に通ることが出来た。
その道は発見と貫禄と感動に満ちた、素晴らしい道だった。

第6部へ