一般国道7号旧道
蒲萄峠 第3部

2018年9月6日 探索・2018年9月10日 公開
2018年10月19日 加筆修正

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載

その道は以前は通行止めとなっていて、通ることが出来なかった。
その理由を調べてみると、やはり路肩が崩れたようで、補修工事の補正予算案が村上市役所のWEBに資料として見つけることが出来た。そこで早速、村上市役所にメールで問い合わせてみると、数日後に電話が私のもとに。村上市役所朝日支所の方からで、お話を伺うと、予想した通り路肩崩落で通行止めとなり工事中だったとのこと。そして…

「実は工事が終わりまして、今日13時から開通するんです」これは非常に嬉しい話だ。ところが…
「ここが終わると、他にも直さなきゃならないところがありまして、今度は違う区間が10月から通行止めになるんです」

…なにっ!!
電話を頂いた村上市役所朝日支所の方へ丁重に御礼を申し上げて電話を終わると…
「早く行かなきゃダメじゃん!!」いよいよだ!さぁ、蒲萄峠に会いに行こう!

国道7号を新潟方面から来て蒲萄トンネルを出るとすぐ右にある、国土交通省の蒲萄除雪基地。旧道の入口は、実はこのすぐ脇にある。建物の左から山の中に入っていく道が見えるが、実はこれが旧道の入口だったりするのだ。角度を変えて見てみると…

ここが蒲萄峠への旧道の入口だ。これ以上はないというほどものすごくわかりやすい入口なので、まず見落とすことはないだろう。但し、旧道に入っていくと急に道が狭くなるので注意だ。まずは池ノ平橋を目指して進もう。久しぶりに来る蒲萄峠への道は以前と同じく雰囲気のある、それでいて明治車道の雰囲気を強く残す道が続く。

実はこの探索の2~3日前、この地域に大雨が降った。風も強く吹きつけたようで路面が落枝などでかなり荒れているが、通れないほどではない。正直、大雨の最中は蒲萄峠の道が無事かどうか非常に心配だったが、幸いに大丈夫だったようだ。路面は舗装されているが国道時代は未舗装路だったはずで、当時の風景を思い浮かべると懐かしさ全開である。

旧道を道なりにしばらく走っていくと、あの池ノ平橋へ到着。この橋も相変わらず雰囲気のある、非常に美しい橋であることは変わりなかった。手前の木々がゲートのようになっていて、この橋を訪れた者を迎えてくれる。あれからいろいろ調べてはいるものの、この橋の竣功年月がわからずにいる。

池ノ平橋を渡って眺めた風景がこの風景だ。どことなく昔を思い出させてくれる非常にいい風景だ。忘れたくない日本の原風景とも言える。素晴らしい。昔にここを通った人たちも、今とそう変わらない景色を見ていたことだと思う。道は付け替えられて旧道化したが、その道自体は残る。過去と同じ風景を見ることが出来るのは、そうないと思うのだがどうだろうか。

池ノ平橋を過ぎて田園の中をさらに進むと、前回通行止めになっていた分岐点に出た。この右へ進む道が蒲萄峠への旧道だが、ここがバリケードされて通行止めになっていて、先へ進めなかったんだ。よし、通行止めが解除されてる!。いよいよ蒲萄峠とご対面することが出来る。逸る気持ちを抑えて峠を目指そう。

先ほどの分岐点を右に進んでいくと、いよいよ峠道へと入っていく。これこれ、この雰囲気。木漏れ日が差して道に降り注ぐ、非常にいい感じ雰囲気の細い道が、しっかりと峠目指して進んでいく。陽の当たる坂道とは、こういう道を言うのかもしれないなぁと思いながら登っていく。

先ほどの分岐点を右に進んでしばらく行くと、途中で舗装が妙に新しい場所があった。その舗装部分をよく見ると、道の半分の舗装が新しく、路肩には真新しいバリケードがある。どうやらここが崩落していたようで、春の時の通行止めの原因はおそらくこれだろう。崩落した部分の路肩が真新しいコンクリートの擁壁でガッチリと補修されていた。

道は緩やかな上り坂になっていて、更に山の奥へ進んでいく。この緩やかな坂の向こうからボンネットバスでも走って来そうな雰囲気だ。そんなバスに乗っている人はどんな人だろうか?。村上や新発田へ向かう人たちを乗せたバスだと思うが、その風景を想像すると楽しい。

こうしてヘアピンカーブでつづら折りを作り、勾配を緩やかにして車道(馬車道)にしていたのが明治車道の特徴である。これは大正時代を過ぎて昭和になり、自動車が普及してもその道筋はしばらく変わらなかった。車酔いする人が続出だったのではないかと一瞬思ったが…

つづら折りを抜けると、道は更に深い森の中へ入っていく。この美しい風景、実に素晴らしい。右側にある苔蒸したガードレールが、旧道として非常にいい雰囲気を醸し出している。

森の中を貫く道に造られた切通し。切り通しの深さとしては比較的浅いが、時間を重ねてきたこの道の切通しは美しい。勾配はさほどではないが確実に峠に向かっていて、明治車道の趣を色深く残している道だと思う。ボンネットバスよりも前の、馬車の時代を彷彿とさせる。

切り通しを抜けて、緩やかな勾配と共に森の中を突き進む旧道。光と影のコントラストが非常に美しい風景じゃないか。周りの林は杉林ではなく雑木林と言うのも実にいい。

こうした緩やかなカーブが多いことも、この峠の特徴だったりする。勾配とカーブの曲線を緩やかにすることで、馬車や牛車の通行を容易にしていた。その代わりと言ってはなんだがヘアピンカーブがやたらと多く、併せて道全体の長さとしても非常に距離が長くなるのが欠点だ。

切通しの道は、小さい一つ目の峠へ。
この峠、こうしてみると今は道幅は狭く感じるが、木に隠れている両側の擁壁の間を見ると、なかなかの道幅があると思われる。この峠道、どんな人々が通ったのか?興味は尽きない。

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