一般国道345号
笹川流れ狭路隧道群

第4部

天王沢隧道アジリキ隧道 調査編

2018年11月25日 探索・2018年12月21日 公開

さて、天王沢隧道とアジリキ隧道の調査編である。
通常は、調査編は最後に行うものだが、今回は「隧道群」で調査編を最後にしてしまうとわかりにくくなるかなと思い、この2本の隧道だけ途中で調査編を入れることにした。

さて、この2本の隧道を調査するにあたって一番問題になったのが、この隧道の竣功年はいつなんだろう?ということだった。おなじみ全国隧道リストで調べてみると、天王沢隧道が昭和41年、アジリキ隧道が昭和40年の竣功となっている。しかし、昭和の40年代にもなって新規に素掘りの隧道はないだろう、と言うのが私の最初の疑問だった。しかも、そのまま全国隧道リストを見ていくと、天王沢隧道の前にある神宮沢第一・第二・第三隧道の竣功が1913年(大正2年)から1914年(大正3年)、後ろにある根込隧道と室谷隧道の竣功は1913年(大正2年)。それなのに、だ。この2本の隧道だけが、竣功が1965年(昭和40年)、1966年(昭和41年)てことはないだろうから、じゃあホントの竣功はいつなのよ?と言う事である。
となると、まずは地図で調べてみようということで地図の登場である。まずは1978年(昭和53年)。

この地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図 笹川 昭和53年を使用し
一部注釈を加えたものである。

今川側の崖の記号も含めて、この位置で間違いないだろう。
この地図は1978年(昭和53年)と言えど、現地調査は1976年(昭和51年)6月、使用した航空写真は1974年(昭和49年)なので、まだまだ弘法トンネルが開通する前である。それでは、1913年(大正2年)に遡って見てみよう。

この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図 笹川
大正2年測図 昭和9年修正測図を使用したものである。

この地図は天王沢隧道編でも登場したが、1913年(大正2年)には隧道の記載がある。この版では一本の隧道として記載されているが、これはおそらく地図の誤記だろうと思われる。
という事は、やはりこの隧道の竣功は昭和40年代ではなく、もっと古い隧道だったのだ。そこで、もっと深く調べるべく、今度は資料を探ってみることにした。早速、新潟県立図書館へ赴き、新潟県が発行している道路関係の資料を手当たり次第に読んでいくと、「道路概要1964」新潟県土木部道路課/編と言う本の中にその記載を見つけた!。

アジリキ隧道 延長81.0m 素掘81.0m 支保工なし 巾員1.6m 高さ2.5m 竣功年月 大正1.12
天王沢隧道  延長70.5m 素掘68.5m 支保工木造2.0m 巾員1.3-1.6m 高さ2.5m 竣功年月 大正1.12

「道路概要1964」新潟県土木部道路課/編より引用

竣功 大正1年12月!

やはり天王沢・アジリキの2本の隧道は、大正生まれだったのだ。これでスッキリした。
と言うことは、この2本の隧道は今年(2018年)でなんと106歳!。土木文化財に指定されてもいいくらいの歴史ある建造物である。竣功当時の幅などを見てみると、巾員1.6m、高さ2.5mで竣功しているが、これでは人道用と言ってもいいくらいの寸法で、車が通るには恐らく交互通行だっただろう。
それでも、この海側の道に車が通れるようになったことが非常に大きいことだったと思う。とにかくこの笹川流れの昔の交通事情は、現代から考えると凄まじいものだった。この辺の調査と記述は最終的な調査編で書くことにするが、今のような道が出来て通行できるようになるのは、実に昭和50年代以降なのである。大正生まれのこの2本の隧道は、そこを通る多くの人たちの悲喜交々を長きに渡って静かに見続けてきた。地図上から道路としての記載は消えてしまったが、誕生から100年以上を過ぎた今も、現役で人を通し続ける隧道だったことを嬉しく思いながら、次の隧道へ向かった。

第5部へ