一般国道345号
笹川流れ挟路隧道群

第1部 ヒトハネ隧道

2018年11月25日 探索・2018年12月5日 公開

笹川流れと呼ばれる国道345号に存在する隧道群を追いかける第1回目は、ヒトハネ隧道である。
名前だけ聞くとやや物騒な気もするが、実際はさほどでもない(←当たり前だ)
国道345号を村上市から北上してくると、途中に「間島」と言う集落がある。この集落を過ぎて更に進むと、正面に見えてくる隧道がある。これがヒトハネ隧道である。しかし、遠目に見るとなんだか入口がおかしく見える。近づいてみると…

残念!塞がれている!

う~みゅ…コンクリートでしっかりと塞がれている。中央に鉄の扉があるが、これはどうやら入れそうもない。ちなみに現道はこの隧道の左側を通過していて、隧道が貫いている岩山を迂回する形になっている。なので、この隧道は長さとしてはさほど長いものではない。
おなじみ隧道データベースによると、延長121m、幅員4.7m、制限高4.5m、竣功は1941年(昭和16年)とある。ただ、状況が「改修」とあるから、もしかすると1941年と言うのは改修された年であり、竣功はもっと古くて、大正浦隧道のように江戸時代とまでは行かなくても、明治や大正時代の可能性は大いにある隧道かも知れない。こちらはこのような感じなので諦めて、反対側はどうだろうと思って回ってみた。すると…

今、私が立っているところも実は旧道の一部である。右側には以前は車が止められる駐車帯になっていたようだが、現在は落石の危険ありと言うことで封鎖されてしまっているのだ。正面奥に見えるコンクリート製の建造物は、JR羽越本線の落石覆いであり、そこだけ一種異様な雰囲気である。
さて、隧道の方を眺めてみると…おっ?! いけるか?。でも、その手前に無造作に置かれているような雰囲気のテトラポットが何となく気になる…。

やっぱり塞がれてるー!

う~む、どうやら落石の危険ありと言うのは、ヒトハネ隧道の坑口付近の話のようだ。なので、ここまで厳重に(近寄れなくするほど)なっているようだ…でも、こちらもせっかくここまで来たんだ。
外から眺めてるのもなんだか悔しいので、近くまで行ってみよう。ここでくじけてはいけない(笑)

う~ん、ここまで厳重に封鎖せんでもよかろーに…(^^;
しかも、ちゃっかり通気口まである。反対側坑口は先ほど確認したように入口に鉄の扉があって、坑道へは一応入れるようになっている。という事は、隧道は倉庫か何かで再利用されてるのかもしれない。もしそうであれば、貴重な隧道が管理されて後世まで残ることになるので、それはそれで嬉しいことである。さて、隧道は封鎖されて中を見ることは出来なかったが、なぜこの隧道が「ヒトハネ隧道」などと、やや物騒(?)な名前なのか。その答えは、ここに建てられた一枚の看板によって明らかとなる。

どれどれ。…なるほど、この山が一跳山(ひとはねやま)と言うのね。
ん?「大正の末頃に隧道が掘られ…」

「!!!」

この隧道、大正時代の隧道だった!。そして、ヒトハネ隧道とは「一跳山」を越えるところから付いた名前だったらしい。ならばカタカナで物騒な雰囲気を漂わすことなんぞしないで、素直に「一跳隧道」にすれば良いものを…(笑)
それはさておき、ここを調べることは今後にも関わってくるので、少し掘り下げてみた。
以下は「村上市史 民俗編 下巻」からの抜粋である。

大月・野潟・間島・柏尾・吉浦・早川・馬下と通じる街道の間島ー柏尾の境にある山は、義経の馬が一跳ねで越えたという伝説から一跳山(ひとはねやま)と言われた。山上の道は切り通しになっており、やはり地蔵サマがあった。ここは村の境で、テングサ採りの境界の基準も設けられていた。今はトンネルが開通している。


おそらく、この文の中の最後に登場してくる開通したトンネルと言うのが、大正時代に開通したと言われるヒトハネ隧道だろう。この隧道はこのあと県道の指定を受けて村上温海線となり、1941年(昭和16年)に改修を受けてこの外海府の交通に貢献するが、隧道の付近に落石の危険が発生し、隧道の外側に新しく迂回路を作り、その道が開通した時点で隧道を含む前後の道は廃道となって駐車帯となった。しかしその後も隧道周辺の落石の危険が収まらなかったため、その駐車帯も封鎖されたと思われる。
それにしても、この山頂に切り通しがあって、そこにお地蔵サマが祭られていたとは…。今度訪れた際は、山頂あたりを注意して眺めてみよう。

…と、ここで終わりにはなりません(笑)。今度は航空写真で確認してみよう!。

1948年7月29日(昭23)米軍撮影 間島 国土地理院地理空間情報ライブラリー・地図空中写真閲覧サービスより

中心の山に2本貫く線が見えるだろうか。
山側の線が国鉄(現JR)羽越本線、海側の線が新潟県道村上温海線である。そして更に山を貫かずに海側を迂回するような小径が見えるだろうか。実はこの道が、現道とほぼ同じ道筋を辿っている。
見ると、この山の上には田圃や畑らしきものも見える。もしかすると、ここからお地蔵サマに到達できるかも知れない。それは今後の宿題として、今は次の隧道へ向かおう。

第2部 天王沢隧道へ