一般国道113号 沼沢旧道
第5部
2022年4月17日 探索 2023年1月31日 公開
歴史が交錯する場所
長い時間の時の流れを感じることが出来た擁壁を後にして、道路と鉄道のそれぞれの交通が一目で見渡せる地点を過ぎると、旧道は沼沢の集落を目指してラストスパートに入るが、その前に旧道から分岐する道が一つだけある。この道は地図を見ると山中深く分け入るように入っていることから、おそらく林道だとは思うが…でもなかなかに立派な道だ。画像はその分岐する林道を撮影したもので、画像手前を右から左に横断している道が旧道だ。なお、後で調べてわかったことだが、この道は1943年(昭和18年)発行の地形図には載っていない。
林道を分岐させた旧道は、そのまま桜川に沿って集落を目指して進んでいく。さっきよりも幾分道幅は狭くなっていて、今は新潟と山形を結ぶ大動脈とも言える国道113号の旧道かと思うと、なかなかに感慨深いものがあると同時に「狭すぎる」と感じた。現代の大型車が通るギリギリの道幅だ。確かにこれは道幅を広げないと増え続ける交通量には対応しきれないが、この道形ではそれをするにも大変だろう。それならば、いっそのこと山側に新しく切り開いた方が工期も工費も少なくできる…となって現道が造られたといったところだろうか(もちろんこれは明沢トンネル旧道にも言えることなのだが)。
自転車を止めて撮影し、さて先へ進もうかと思ったときにふと脇を流れる側溝を見ると…
何気ない側溝にも、この小石を積み上げて組んだような石垣(と言っていいのだろうか)。この旧道が完成した当時に造られたものか。それとも、後世に造られたものかとも考えてはみたものの、ここが観光地なら後で造ったと言うことも十分に考えられるが、ここはそうではない。とある国道の旧道で、周辺には桜川と田圃と米坂線しかないので、近代に造られたものではないだろう。となると…
正確なところはわからないが、趣のあるものであることは間違いないし、そこに流れている水が澄んできれいなこと!。たぶん、雪解け水だろう。この水で米を作るなら、それはきっと美味しいだろうと思う。一度食してみたいものだ。そうなると、それに組み合わせる飯の友は…蕗の薹味噌だろうか。
側溝の水が流れ込む桜川はどんな川だろうかと(実はあまり近くで見たことはない)、旧道の右側を流れる川を路肩から覗き込んでみると…しまった、結構な高さがあるぞ(汗)。実は高い場所はあまり得意ではないので、そういった場所にはなるべく近寄らないようにしているのだが、今回はつい覗き込んでしまった。それだけ興味の方が勝ったのだろう(ということにしておこう)。
山の栄養をたっぷりと蓄えた雪解けの水が勢いよく力強く流れる桜川。これが明沢川と合流して、弁当沢トンネル旧道や綱取橋の下を流れているのかと思うと感慨深い。そういえば、来るときに立ち寄った道の駅で「羽前桜川」という名前の日本酒があったはず。ワンカップもあったようなので、帰りに買って帰るとしよう。そういえば蕗の薹味噌も家にあったな…。いかん、今宵の酒の算段は後にして、今は探索を進めよう(笑)。
旧道の脇を付かず離れず走っていた米坂線が、気づけば間近に迫ってくる。左の土手の上は米坂線、もうすぐ羽前沼沢駅に差し掛かる。駅前には小さな集落があり、その昔はここで降りたであろう旅人を暖かく迎えてくれたことと思う。お馴染み地理院地図で確認すると、この羽前沼沢駅がある集落は今でこそ沼沢と言う地名になっているが、1943年(昭和18年)当時は「百子澤(ひゃっこさわ?)」と言う集落だった。本来の沼沢集落は、実はもう少し先にあるのだ。では、羽前沼沢駅へ向かおう。
駅舎は建て替えられているが、位置は変わってないはず。駅前には「羽前桜川」の看板を付けた建物があるが今は閉まっているようで、おそらく酒屋さんだろう。営業されていれば、ぜひここで羽前桜川のお酒を買いたかったが・・・。
この羽前沼沢駅は米沢方向から延びてきた米坂東線の駅として1933年(昭和8年)11月に開業。その後、1935年(昭和10年)10月に羽前沼沢から小国駅間が開通するまで、2年近く米坂東線の終着駅だった。ここは小国駅へ延伸する米坂東線の工事の基地として賑わったのかもしれない。
私が今通ってきたこの旧道で見かけた、あの米坂線との交差地点の石垣の資材なども、きっとこの道筋を通ったことだろう。ここに立って眺めていると、賑やかな当時が目の前に蘇ってくるようで楽しい。
上の地点の左側にある羽前沼沢駅の駅舎を眺めてみる。前章(第4章)の最後で「思い出深い集落」と表現したのは、この羽前沼沢駅があるからだ。実はこの駅、1967年(昭和42年)8月28日に発生した羽越豪雨により米坂線が全線不通になった際に、この駅で団体客372人が取り残された。この団体客は駅で炊き出しを受けたと、当時の新聞に記載されている(朝日新聞 昭和42年(1967年)8月29日夕刊、3版、1面)。
それから54年後。2022年(令和4年)8月3日に発生した豪雨災害で、米沢発新潟行「快速べにばな」がこの羽前沼沢駅で運転を取り止め、使用していた車両(キハ110系2両)が同年12月までこの駅で留置となった駅だ(このレポートを執筆している2023年1月現在、米坂線はまだ復旧していない)。
山間の小駅であるにも関わらず、多くの人々の命を救ったこの駅。
今も広大な駅前広場が往年の栄華を示すように存在しているが、実はこの沼沢集落は「小国新道」と呼ばれた現在の国道113号の前身の道(この道の開削を命じたのは、あの三島通庸(みしまみちつね)である)の工事でも中継地となった重要な集落でもあったのだ。
重要な役割を果たした歴史が交錯する場所。
そう言う意味で、この集落は私にとって思い出深い地となった。
次回はいよいよ現道との合流地点へ。