一般国道113号旧道
綱取橋旧橋

2019年5月3日 探索 2019年9月29日 公開

山形県西置賜郡小国町の一般国道113号。この道は小国新道(おぐにしんみち)と呼ばれ、あの土木県令の三島通庸(みしまみちつね)が改良した道路である。この小国新道が現在の道の形になるまでは何度かの経路変更が行われているが、今回紹介するこの橋も、その経路変更の中で取り残された橋だ。この橋は同じ名称の橋が現道に存在する(子子見トンネルと綱取トンネルの間にある橋)ため、ここでは「旧橋」と表現させていただいた。

今いる場所は、この前に探索した子子見片洞門から戻ってきたところである。ここは最初にこの旧道に足を踏み入れた地点で、そこから綱取橋旧橋の方向を見たのがこの画像だ。左の渓谷は子子見片洞門で見た渓谷の風景と変わらず、美しくて険しくて、激しい水の流れの音が渓谷に響いている。今は初夏で深緑が美しいが、これが秋になると今度は紅葉となり、また非常に美しいだろう。ところで皆さんは、この前で公開した「子子見片洞門」編の最後の部分を覚えておられるだろうか。

これで子子見片洞門編は終わりだが、私の探索は更に続く。いや、本当はこの先の「あるもの」に出会うために、ここまでやってきたと言ってもいいかもしれない。その「あるもの」は1883年(明治16年)に竣功したもので、とあるWEBで見かけて、私が一目ぼれしたものだ。
上の画像から先へ進むと、出会うことが出来るのだが…その「あるもの」とは?!

この時に書いた1883年(明治16年)生まれの「あるもの」とは、この綱取橋旧橋のことである。
この橋は、実は子子見片洞門と共に多くの先輩諸氏が今までに訪れていて、ネット上で少し探せば簡単にその姿を拝むことが出来る。そうなると、やはり実際に現地に行ってその姿をこの目で見てみたいじゃないか、と言うことで私の中の探索の虫がうずき始めてしまい、その結果ここにいる。明治生まれの古豪の橋の今は、どうなっているのか。早速その場所を地図で確認してみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

この地図は「子子見片洞門」でも使った地図で、それぞれの位置関係はこのようになっている。私が探索時に実際に使った地図は、とても綺麗とは言えない私の字であれこれと書き込んでいて、とてもここで公開できる状態ではないので新しく作った地図がこれだ。
弁当沢トンネルの方からやってくると、綱取トンネルの手前から明沢川に沿って破線で描かれている徒歩道が見えるが、これが子子見片洞門を通る旧国道113号だ。また現道は綱取トンネルを抜けるとすぐに明沢川を渡っているが、ここに架かっている橋が新しい綱取橋。この新しい綱取橋の位置で、旧国道113号である子子見片洞門の徒歩道の表記は消えており、これ以降の旧道は道路として用途廃止されていることがわかる。


だが、実際には旧道は今も存在していて、これ以降も綱取橋旧橋で明沢川を渡ってその先の綱取片洞門を通り、地図上に244の数字があるあたりでもう一度米坂線を横断、現道の道筋に合流する道形となっていた。子子見片洞門を探索する前に、旧道が米坂線を横断して現道に合流したと思われる地点を見てみたが、今はこの地点に米坂線のスノーシェッドがあって確かめることは出来ず、合流した地点も非常に不明瞭で、これはおそらくスノーシェッドの向こう側も同じだろうと思われる。
また、地図上に綱取橋旧橋の位置を大まかに青線で記入してみた。あくまで大まかなのだが、位置的にはこの辺に架かっているはずだ。橋の付近の等高線を見てみると、その間隔はかなり狭い。
と言うことは、この付近はかなり急な斜面や崖となっていることが予想されるし、綱取橋旧橋を渡って綱取片洞門へ向かう地点の対岸に、崖の記号も見える。崩れていないといいけど、と言う思いが頭をよぎった。

しかし、ここであれこれ考えていても仕方ない。
その明治16年生まれの橋は、もうすぐ目の前にある。
まずは会いに行こう。

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