一般国道113号旧道
綱取橋旧橋
 第1部

2019年5月3日 探索 2019年10月3日 公開

いざ、綱取橋へ

この画像は、子子見片洞門でもご紹介した階段から降りて右側を見たところだ。先を見ると米坂線の線路が見えており、その左側には鉄道の綱取橋が見える。旧道はこの画像(ここ)でもわかるように、今となってはやや短くなってしまった感がある片洞門を過ぎて、米坂線の弁当沢トンネルの出口にあるスノーシェッドの下で米坂線と踏切で直角に交差し、綱取橋へ向かっている。この画像の中央に見えているコンクリートの構造物がそのスノーシェッドで、旧道を辿るということは、この米坂線を越えなければならないのだが…

何か不思議な力が働いたようだ。ふと気が付くと、この旧道最大のグレーゾーンを越えていた。その不思議な力が何かはわからないが、ここは気にしないで先に進むことにしよう(笑)。ここからのこの道は地図からは抹消された区間であり、今では「道路」ではない。実はもっと路面が荒れているかと思ったが、予想以上にいい状態だったので安心した。目的地の「あるもの」には、さほど苦労せずにたどり着けそうだ(実はこの画像の中に、その「あるもの」が既に写り込んでいる)。

おおっ!あれだ!

その姿が見えた途端に、他に誰もいない国道113号の旧道で一人ではしゃいでいる私がいた。そうせざるを得ないほど非常に衝撃的な出会いだ。これは素晴らしい!。ここに辿り着くまでの道のりは、旧道の探索としては非常に楽な部類に入る。しかし、それは安心して進めるという訳ではなく、それなりに注意は必要だ。路面は折れた木や倒れ込んだ木があったりして、足場はそれなりに悪い。しかし、それを通り抜けた後に見えたこの風景は、それらをすべて吹き飛ばしてしまうほど、いい風景だ。

今でも十分に美しい橋

こんな風景を目の前にして、本当なら一気に駆け寄って堪能したいところだが(←変態(笑))、なぜかそれは非常にもったいない気がした。逸る気持ちを抑えて、あくまで普通に歩くことを心掛けながら(断わっておくが辺りには誰もおらず、私一人である)近づいていく。この時の私はずっと橋を見続けているので、もしここに落とし穴があったら確実に落ちていること請け合いだ(笑)。
ここからだと橋の取り付け部分や組んである石の様子がよく見えて、橋を全体像として掴むことが出来る。

旧道は崖と山の間を縫うようにして進み、橋へ向かっている。深緑の黄緑色と、その向こうにある石組の橋の風景が、この橋と道が現役だったころの風景を思い起こさせてくれる。下を覗き込むと川の水面までは遥かな高さがあり、一言で言って「よくぞこんな急峻な場所に、これだけの橋を架けたな!」の一言に尽きる。その断崖は、橋全体を撮影するにもロープで身体を吊ってからでないと撮影できないほどの急な崖であり、探索日当日はロープを用意していなかったため残念ながら断念したが、ここはどうしても後日再訪して、ロープで身体を吊って撮影したいと思っている。

いいねぇ!

日光の加減で右上に緑色の点が入ってしまったが、これは決してアヤシイものではないことをお断りしておきたい。旧道は、ここから見える綱取橋旧橋を渡った直後に直角に近い形で右に曲がり、綱取片洞門へ向かっていた。今回はこの綱取橋を終点としたが、機会を作ってぜひ先に進んでみたい。
ここから見える綱取橋旧橋は、欄干は失われており今は全くないと言ってもいい。実際に訪れる際には橋上からの転落に注意する必要があるが、欄干がなくてもこの橋の重厚さや、造った職人の方々の気概が今でもビンビンと感じられる、素晴らしい建造物である。1883年(明治16年)にこの橋が竣功してから、2019年の今年まで実に135年。一世紀以上の時が過ぎても、いまだにしっかりと桜川渓谷を跨いでいる。これは見事と言うしかない。この橋の上に立ちたい。私は歩みを進めた。


この綱取橋旧橋から見た今の風景はどういったものなのか、それが非常に楽しみだし、さらに詳しくこの橋の構造や石組を見てみたい。そのためにも「じっくりと」観察しなければ。幸い、そこに至る旧道の足元は非常に良い状態だが、油断は禁物だ。私は慎重に旧橋へ向かった!。

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