一般国道113号 沼沢旧道
第6部(完結編)

2022年4月17日 探索 2023年2月4日 公開

113号と米坂線

いくつかの歴史が交錯する羽前沼沢駅を後にして、現道との合流点を目指す。
画像がやや逆光気味で申し訳ないが、この集落の中を旧道はこんな狭さで通っていた。朝夕には通学する子供たちや、出勤するために駅へ急ぐ人もいただろう。また、積雪時には積み上げられた雪で、さらに道幅が狭かったに違いない。日々増加する交通量には到底対応できなかっただろうし、交通事故の危険もあっただろう。だが、こうして見ると昔の宿場町の面影を残している風景だなと思う。今は閑散としているが、賑やかだったころの風景が目前に蘇ってくるようだ。


以前にもどこかで書いた覚えがあるが、昔の道づくりは集落と集落を繋ぐ造り方をしている。これは昔の街道がそうだったからだ。街道は集落と集落を結び、人や物の交流を盛んにし、生活を繋いでいた。やがて旅に疲れた身体を癒す宿場が出来て、明治時代には荷扱いなどを行う「駅」が出来たりしたが、道の造り方は変わらなかった。それが東京オリンピックを契機にモータリゼーションが進んで社会に車が必需品となったころ、道路の構造はそれに追いついていなかったため交通事故が多発し、1970年代には「交通戦争」と言われるまでに自動車事故が多発する事態になっていく。そして、この頃から道の造り方が変化を始め、それまでの「集落と集落を結ぶ」から「大きな幹線道路を造り、集落へは枝葉のようなアクセス道路で繋ぐ」と言う造り方に変わっていった。


集落の家々が途切れる隙間から、こんな風景が見えた。だだっ広い空き地の向こうには手前に米坂線、その向こうには現道の113号が見える。その現道はここから正面の丘を抜ける、延長115mと短い沼沢トンネルに入り、出たところで旧道と合流する。その正面の丘に並んで生えている数多くの木々は、もしかして桜かな?。だとしたら、ここは春になると桜満開の絶景なんじゃないだろうか。ここは雪解けした、今よりももう少し遅い時期に来て花見したいもんだ。その時に飲むお酒は・・・やっぱり「羽前桜川」だな(笑)。

思わず羽前桜川を呑みたくなる花見(?)の場所を過ぎると、やがて米坂線を超える踏切が見えてくる。もうすぐこの探索も終わりを迎えるが、その直前に出てきたこの左側の絶壁は何だ!。素晴らしく切り立った壁。右側は谷に落ち込んでいるし、左直角、右直角の素晴らしい場所じゃないか!。ここだけでメシ三杯はいけるぞ(笑)。

集落を抜けた旧道は何故かここだけは道幅が広く、普通車が優に離合できる道幅だ。このくらいの道幅で造られていれば・・・でも、集落の中を通ってるから、やっぱり局所改良しなきゃダメか。
先に見える踏切は米坂線を渡る踏切だが、道に対して微妙に道幅が狭いことにお気づきだろうか。てことは、踏切を越える時には片側交互通行になるじゃんか(笑)

踏切までやってきた。現道は沼沢トンネルで越えている丘を、米坂線は切通しで越えている。てことは、この切通しの右側の山の中は現道のトンネルと言うことか。おそらく米坂線が開通した1935年(昭和10年)10月から存在するこの切通し、見事しか言いようがない。今までよく崩れもせずに存在してくれたもんだ。それはこの切通しを造った方々、今まで整備を続けてこられた方々がいたからで、そのお陰で私たちは米坂線を利用することが出来て、こうして景色を楽しむことが出来る。日夜整備を続けた方々に、心から敬意を表したい。

踏切の真ん中から撮影してみた。この切通しの様子がよくわかると思う。ここは緩やかな右カーブになっているが、このカーブで正面からSLがやってきたら、ものすごく格好いいじゃないか。今は雪解け直後だから木々に葉がなくて寂しい感じになっているが、もう少し経つと鮮やかな新緑の葉を湛えて美しいことだろう。それが今日みたいな青い空なら、なおさら映えるだろうなぁ。

ここが現道との合流点だ。現道は沼沢トンネルで丘を一気に越えるが、旧道はこのように丘に沿って集落へ向かっている。その道幅は決して広くはないが、遥か遠くの山に突っ込んで行くかのような道形は非常にそそられる。今、このレポートを書きながら気づいたが、正面に立っている2本の高い柱は何だろう?。いかん、宿題が出来てしまった。これは再訪せねばなるまい。
調査の後、ここで追記として公開したいと思う。

大正二年測図 昭和六年要部修正測図 昭和十六年部分修正測図 昭和十八年三月三十日 大日本帝国陸地測量部発行
五万分の一地形図 手ノ子を使用したものである。

ここからは軽い調査編を少しだけ。
この地図上、中心部に「沼澤」と言う地名があるが、この集落が現在も存在する沼沢集落だ。その左側、米坂線沿いに上に上がっていくと「百子澤」と言う地名があり、そこに「うぜんぬまさは」と見えるのが駅で、この位置も現在と変わっていない。同じ造るなら沼沢集落の中でも良かったんじゃないかと思うが、地形図を見る限りそのようなスペースはなさそうだし、羽前沼沢が一時期の間だけ終着駅で、小国へ向けてなおも工事が行われていたことや、その当時は蒸気機関車から飛び散る火の粉を嫌って線路自体が集落から離れたところを通していたことを考えると、百子澤に造るのが最適だったのだろう。

対して113号旧道は桜川に沿って沼澤集落から百子澤集落方向へ向かい、その先も桜川に沿って進んでいる。この間は川岸に「崖」の記号があり、道を通すにもここしかなかったんだろうなと言うことが何となくだが見て取れる。よくもまぁこんなところに道を通したもんだ。
だからこそ道幅は狭いし、今のように舗装もされていなかったから通るだけでも大変だっただろう。でも、その道が今でも町道として使用されていることを考えると、(この区間は)間違ってはいなかったんだろうなと思う。おかげで、あの擁壁米坂線との交差地点に残る擁壁など、眼福な構造物を見ることが出来た。

ところで、羽前沼沢駅に取り残された車両は第5部でも書いた通り、2022年(令和4年)12月までに全車両(2両)が村上側の羽越本線坂町駅に戻った。これを書いている2023年(令和5年)2月現在で米坂線は復旧していないが、雪深い冬の時期になると孤立してしまうこの地域を救う足として今でも役立っていることを考えると、米坂線と国道113号は異体同心のようにも思える。米坂線のいち早い復旧を願わざるを得ない。


明沢トンネル旧道から続く今回の探索は、ひとまずここで終わる。その間には路面に残った雪で日焼け(雪焼け)したし、米坂線の141年前の擁壁、国鉄の貨車ワム60000にも逢えたし、何よりも(道路ではないけれど)歴史が交錯した羽前沼沢駅の歴史に触れられたのが印象的だった。
旧版地形図を見ると沼澤集落から先、杉橋方向へ進むと、蛇行する桜川沿いに道の跡らしきものが見える。まだまだ113号の探索は終わらなさそうだ。

「やっぱりこの道、面白い」

(宇津峠もあるしね)

一般国道113号 沼沢旧道

 完結。