一般国道113号 沼沢旧道
第3部
2022年4月17日 探索 2023年1月23日 公開
雪洞の中の標柱
路面にわずかに残る雪を自転車でかわしながら進んでいくと、現道と交差する地点に出た。明沢トンネルから来た現道は、上路トラスの登戸橋で桜川を越えるとすぐに旧道と交差する。地形図上ではここはトンネル記号になっているが、実際は御覧のように角形のカルバートで米坂線の下をくぐっていた。
この辺りはさほど交通量がないのか、それとも路面が傷んでいるのか、水たまりや積雪が見られる。それに、路面や道の周りに積もる雪の白さに登戸橋のトラスの赤さ、手前の針葉樹の緑が映える。これで列車が写り込んでいれば言うことはなかったのだが…(笑)
ふと路肩を見ると、こんなのを見つけた。
雪で守られた標柱。こりゃ雪洞とでも言えばいいのだろうか。頭上に乗っかった、溶けかけた雪の重さで、標柱が若干斜めになっているようにも見える。自然の成せる技ならではの造形が実に美しいじゃないか。その下の地面は冬枯れした地表そのもの。雪があるとまだまだ冬さながらのように見えるが、そんなことはない。春はすぐそこまで来ていることを、こんなところで実感する。
すぐそこまで来ている春を感じられた現道との交差を過ぎると、今度は米坂線との交差を目指す。現道との交差よりも遥かに歴史が深いであろう米坂線との交差地点。どんな発見があるのかが楽しみだが、まずはそこまでの道がこれだ。見事なまでに道の部分だけ積雪がない。どうやら、この道は全線にわたってロータリー除雪車で雪を飛ばしたらしい。おかげで路面には雪は無く非常に通行しやすいが…この陽射しの強さと雪の量だと、こりゃここでも日焼けするだろうなぁ。余計に顔がヒリヒリしそうだ。
いよいよ、米坂線との交差地点に来た。まず迎えてくれたのは、高さ制限門型柱(これ、執筆するにあたって軽く調べたところ、本当にこんな名称らしい)。その門形柱はかなり年季が入っていて、高さ制限を記した塗装は消えかかっていて、じっくり見ないと制限高さが何メートルなのかわからないくらいだ。と言うことで、立ち止まってじっくり見たところ、どうやら3.8mらしい。
高さ制限について
ところで、こういった門形柱で規制されているところは3.8mが多い。
道路は一定の構造基準(道路構造令)により造られているが、この基準を守らないと道路が損傷する恐れがある。このため道路の構造を守り、交通の危険を防ぐために、道路法や車両制限令で道路を通行する車両の大きさや重さの最高限度を定めている(道路法第47条1項、車両制限令第3条)が、ここで定められている車両の高さの制限値(最高限度)が3.8mなのだ。
この車両制限令は平成16年2月に一部が改正され、従来、道路法(車両制限令)に定める車両の高さの最高限度は3.8mとしていたものを、道路管理者が道路の構造の保全及び交通の危険の防止上支障がないと認めて指定した道路(これを「高さ指定道路」という)を通行する車両は、制限値が4.1mに引き上げられた。
さて、門柱を通り過ぎて一番興味が湧くのは、やはりこの石垣だ。玉石積みの頑丈な擁壁は、おそらく竣工当時からのものだろう。米坂東線として羽前沼沢から小国(14.4 km)間が延伸開業したのは1935年(昭和10年)10月30日だから、およそ87年前(2023年現在)。国道113号の前身となる小国新道の宇津峠から綱取橋まで開通したのが1881年(明治14年)11月(綱取橋旧橋第3部を参照)。ということは、米坂線の工事の際には国道113号は既に開通していた。現道の交通を止めずに通しながらの工事だっただろうから、この周辺はいろんな意味で随分と賑わったことだろう。
米坂線を潜って反対側からこの玉石積みの擁壁を眺めてみる。竣功当時からではないだろうが、橋台に取り付けられた赤く錆びて年季を感じさせる「けたに注意」の警告板が、時間を感じさせてくれる。それに、絡みつく蔦が手前の擁壁を埋め尽くしているではないか。冬枯れで茶色くなっているが、夏になると葉が茂り、鮮やかな緑で埋め尽くされるのかもしれない。それはそれで綺麗かも、と思ってみる。
旧道は米坂線を後にすると左にカーブして
桜川沿いに進み、沼沢の集落へ向かう。
「あの駅」まで、もう少し。