一般国道113号
朝篠トンネル旧道

第4部

2020年5月2日 探索・2020年11月30日 公開



休憩して体力も復活、相変わらず結構な坂道をのんびりと上がっていき、少し走ったところで振り返って撮影してみた。今日は青空が眩しいほど天気がよく、おかげで暑いくらいの陽気だ。だが、川沿いを吹き抜ける風は結構冷たく、それが火照った身体にはちょうど良い。路肩には冬季の積雪で潰されてしまったのだろうか、ガードレールの残骸が残っている。おかげで路肩から下は横川の水面まで真っ逆さまに一直線の状態になっていて、覗き込んでみたのがチェンジ後の画像だ。路面から水面までの高さは、あの「綱取橋」より高いかもしれない。

ガードレールの頭の部分がものの見事に崩れてしまっていて、基礎の部分まで露出しまっていた。これを見たときにふと思い浮かんだのだが、ここって、この道を除雪した雪を下を流れる横川に落としている場所じゃないだろうか?。確証はないが、どうもそんな気がする。
ま、それはそれとして、この付近の景色は新緑も相まってなかなか美しい。左側の水面には横川を渡る米坂線の鉄橋も見える。木々の葉に遮られて今は見えにくいが、冬景色ならここはいい撮影スポットじゃないかと言う気がした。



ここは以前に路肩が滑って崩れてしまった場所のようだ。ここから見える擁壁はかなり大掛かりなようだから、結構大規模に滑り落ちたのだろう。ところで今私がいるこの地点はこの旧道の最高点と思われ、ここから先はなだらかに下っていく道筋が見える。左に見える横川には直角に近い角度で旧道に接近する米坂線の線路も見えているので、この先の旧道がどうなっているのか、楽しみだ。地図上では立体交差とか踏切はないはずだが…
チェンジ後の画像は少し進んで米坂線の鉄橋がより見える場所で撮影したものだ。この旧道と米坂線の位置関係がおわかり頂けると思う。



少し(本当にほんの少しだが)進んで、再度撮影してみた。ここを頂点として旧道は下りに転じているが、前方に見えるカーブミラーのところで右にカーブし、そのまま下りで進んでいる。そのカーブミラーのところに桜の木があり、花が咲いているのが非常に風情がある。5月と言えどもこの辺りは平地に比べるとまだまだ気温は低く、桜が満開になるころの気温なのだ。チェンジ後の画像は、その右カーブを経て先の画像。これまでも道幅は狭かったが更に道幅は狭くなり、およそ国道だったとは思えないような道が現れた。大型トラックが通れるような道ではなく、通行のネックになっていたと思われる。



ここが、旧道と米坂線が並走する区間だ。御覧の通り米坂線の方が低い位置を走っている。奥が小国側で手前が飯豊側になるが、小国側から来る列車を撮影するには良い場所じゃないだろうか。これでSLでも走っていれば言うことはない。ところで旧道は相変わらずの狭さで、山の斜面を削って通しましたと言うような感じだ。この道が拓かれたのは1884年(明治17年。※綱取橋調査編を参照)。今からおよそ135年前のことだから、当時はこの道幅で良かったのだろうが…今じゃとんでもなく狭い。
チェンジ後の画像は、振り返って撮影してみたものだ。旧道は山肌に沿うように進んでいるが、米坂線は一直線に貫くような形で線路が敷設されている。これは開通年代の違いによるもので、旧道は前述の通り1884年(明治17年)。この当時、米坂線は(当たり前だが)まだ影も形もない。この区間に鉄道が敷設されるのは、山形側を米坂東線、新潟側を米坂西線と言っていた1935年(昭和10年)10月30日なのだ。
つまり、明治時代には地形に沿った経路を取っていたが、技術の進化により地形を気にせず経路が取れるようになったということであり、開通した年代でこれだけ違うということを実際に見れる、実に面白い区間だと思う。

それぞれの開通年代によって線形の取り方がまるで違うということを証明してくれたかのような場所から進んでくると、山から下りてきて平地になったようで勾配がほとんど無くなって、のんびりとした田舎道の雰囲気になった。
道の左側は何かの畑だったのだろうか、結構広大な平場になっている。また、電柱も姿を現してきた。
手持ちの地図上ではこの辺で全行程のおよそ半分。この先、旧道はほとんどアップダウンがないまま松岡の集落へ向かうはずで、この先には横川と水路(?)に挟まれた区間もある。まだまだ楽しませてくれそうだ。

第5部へ