新潟県主要地方道52号
山北関川線
日本国トンネル旧道 第9部

2021年10月23日 探索 2022年1月20日 公開



無事帰還!

崩れたガレ場を越えて、ようやく地上に帰還した。こんな時に思うのはいつもただ一つ「大地って良いなぁ」だ。何より自分の足で踏みしめることが出来るので安心感があるし、いつもは苦手なヤブも、こんな時は愛おしく感じてしまう。先にはこちらに背中を向けた菱形の標識が見える。おそらくは「落石注意」だろう。チェンジ後の画像は、その通り抜けたガレ場の画像を再掲した。今見てもなかなかのコワさだと思うが、いかがだろうか。

やっぱりね。

降り立った地点で背中を向けて立っていたのは案の定、落石注意の標識だった。この標識が示す注意するべき場所はもう崩れてしまっているが、崩れたのはおそらく旧道化してからだろうと思う(確証はないが、そんな気がする)。ともかく無事に通れてよかった。入口に立っていたあの標識の原因もおそらくここだろう。となると、この道は旧道となってからも、(そんなに長い時間ではないだろうが)しばらくは自動車も通行出来る道として存在していたのかもしれない。

ヤブを掻き分けながら進んでいると、このような広場?に出た。ここだけ拓けていて、太陽の光もしっかり届き、そして何より足元にたむろしていた草もここだけは生えてない。なるほど、これはここで休憩しろってことだな?と都合のいい解釈をして、私も早速休憩をすることにした。
近くの倒木に腰かけて、ペットボトルのルイボスティーを一口飲んで深呼吸。現道からはそんなに離れていないが、それでも市街地と比べれば格段にキレイな空気は身体の中まで洗ってくれるかのようだ。・・・え?なんでルイボスティーなのかって?。それは利尿作用があるカフェインが入っていないので、出すのに困らなくてすむから(^^)

5分少々の休憩を終えて出発!。すぐに少し濃い目のヤブが目の前に広がったが、幸いさほど大変でもなく、すぐに抜けられて視界が広がる。その時の光景がこの画像だ。誰かが通ったような痕跡もなく、人が踏みしめた一本の道筋さえ残っていない上物の廃道。
一度来たら、おそらくは二度と来ることはないこの場所を画像として残しておきたい。そんな衝動に駆られて、カメラのシャッターを切り続けてしまった。

ひとしきりシャッターを切りまくった後は、探索に復帰!。山側にこんなものを見つけた。今は背を向けているが、覗き込んでみると右矢印の誘導板だった。おそらくは(この画像で言うと左から来るクルマに対して)幅員が減少することに対しての誘導板だろう。今は車の通行が途絶えてしまったこの道で、後ろを向いて静かに余生を過ごしているかのようだった。

背中を向けた矢印誘導板に声をかけて先へ進んでいくと、今度はこんな場所に出た。いきなり視界が広がって、明るい景色が目の前に広がる。ここだけ燦燦と日差しが降り注いで、目の前には自然豊かな広葉樹がたくさんある、いかにもクマがいそうな山並みが広がる。道はここで大きく右に回り込み、現道に向かって小俣川の川岸を忠実にトレースして進んでいく。

先ほどの明るい場所から右カーブで回り込んでいくと、木々に囲まれて薄暗い道が復活。路面にはこれまでで一番アスファルトが残る廃道を進んでいく。2001年(平成13年)2月の鏡岩トンネルの開通によって旧道化したこの道、全体的にあまり傷むことなく現道当時の姿をよく残していると思う(一カ所を除いて)。当然、探索していても非常に楽しいので、枯葉を踏みしめる足並みも軽くなる。

アスファルトの舗装が残る路面を軽い足取りで進んでいると、またまた前方に落石注意の標識が現れた。日本国トンネルの旧道に入ってからここまで、何回この標識を見てきたか。途中の崖崩れの現場もそうだが、全体的に崩れやすい地質のところに通した道らしい。
現道だったころは雪崩やがけ崩れ、路肩崩落も頻繁にあったかもしれない。この道が通れなくなると、これより先の集落が孤立してしまうことから、維持も大変だっただろう。結果、改良として2本のトンネルが掘られたが、そういった旧道は景色がすごく良かったりするのは皮肉か。

だが、廃道の雰囲気満点のこの風景は、まるでオアシス。美しいことには変わらない。

ゴールとなる一の瀬橋まで、あと少し。
でも、終わりを迎えるのは少し寂しい気もする(笑)

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