新潟県主要地方道52号
山北関川線
日本国トンネル旧道 第11部

2021年10月23日 探索 2022年1月28日 公開

それでは、この一の瀬橋を見てみよう。御覧の通り、橋の構造自体は今でもとてもしっかりとしていて、前後の道を整備すれば現役で使えそうだ。道幅は現代の橋に比べると狭く、軽自動車がすれ違えるくらいと言えばおわかりいただけるだろうか。この辺りは冬になるとメートル単位で雪が降る豪雪地帯で、この橋も冬季はその尋常ではない積雪の量に懸命に耐えて、生命線であるこの県道の交通を守ってきた。その橋を果たしてどんな人が通って、どんなドラマがあったのか。

親柱を見てみる。欄干と同じ素材の石で造られていて、丸く角が取れた四角柱の親柱に立派な銘板が埋め込まれていて、一の瀬橋と刻まれていた。現道だったころには、小俣川に生える白いこの橋が非常に瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気で水面に映り込んだことと思う。季節はいつがいいだろうかなぁ・・・やっぱり夏かな?。

先ほどの名前が刻まれていた親柱は右側の親柱だったが、これは左の親柱。そこには「縣道関川府屋線」と、これまた立派な銘板が取り付けられていた。県道名称の関川は山形県鶴岡市関川、府屋は新潟県岩船郡山北町府屋を指しており、この県道が県境を越えることを示している。親柱には長年の間に緑色の汚れがついているが、タワシか何かで少し擦れば綺麗に取れそうな感じがする。

欄干から現道方向を眺めてみた。今の欄干と比べると一回り低い高さで、2本の丸い棒が通っているという、まさしく「ひと昔前の」欄干なのだが、その丸い棒も白く塗装されて周りの風景に馴染んでいて、雰囲気がとても良い。今気づいたが、橋の路面はアスファルトで舗装されていて、これが下草が少ない要因だろう。その一回り低い欄干から小俣川を見てみると・・・

おおっ!絶景だ!

いいなぁ、この風景!。小俣川渓谷と言われるこの流れは今回の探索を通じて初めて見たが、非常に美しい。紅葉の季節になると、もっと綺麗だろう。出来るなら一の瀬橋の上でこの風景を見ながらコンロでメザシを焼いて、この風景とメザシを肴に日本酒で一杯いきたいところだ(←具体的だな、おい(笑))。

こんな風景を見ていると、自分が洗われていくようで非常に気持ちいい。気分がゆったりしていくのを感じながら、D300のレンズを向ける。

反対側を見てみると、この通り。現道の橋が架かり、その下を小俣川が流れている。現道の橋は橋脚はなく、単純な桁橋だ。なので、下を流れる小俣川の清流がそのまま見えていて、その水は川底が透けて見えるほどの綺麗な水。私は川釣りは詳しくないが、イワナやヤマメがいそうな清流だ。あぁ、焼魚が・・・キュッと一杯・・・(結局それかい(笑))。

今日は日本酒で決まりだな!などと帰ってから呑む酒のことを思いつつ、左側の親柱を確認してみると「昭和廿八年三月竣工」と竣功年月日が刻まれていた。昭和廿八年は西暦で言うと1953年。今(2022年)から70年前にこの橋が竣功したということを思うと感慨深い。

ところで1953年と言えば、この年の5月18日に1952年(昭和27年)6月10日に公布された道路法によって定められた道路の種類である「二級国道」が制定された年だ。ちなみに二級国道とは・・・

二級国道は1953年(昭和28年)5月に最初の144路線が指定され、3桁の路線番号が採番されることになった。このあと、1956年(昭和31年)7月の第二次指定では主要地方道の中から7路線が追加、1958年(昭和33年)9月の一級国道第二次指定の時は二級国道3路線が一級国道に昇格。また、1962年(昭和37年)5月の一級国道・二級国道の第三次指定では、二級国道16路線の一級国道昇格と併せ、主に主要地方道の中から33路線が二級国道として追加指定された。1963年(昭和38年)3月に国道271号が最後の二級国道として追加路線指定を受けたあと、1965年(昭和40年)4月の道路法改正により一級国道・二級国道の区分が廃止され、現在はすべての国道が「一般国道」となっている。

鏡岩トンネルと一の瀬橋のツーショット。新旧県道の対比だ。ちなみに新道の橋も名称は「一の瀬橋」になっている(親柱の画像は後ほど)。こうして眺めると、鏡岩トンネルの坑口付近の木の茂り方と新旧の橋の欄干の対比が見えて、面白い画像になった。この坑口、四季を通じて綺麗だろうなぁ。

次回、この二つの橋と、この旧道の少し先のスノーシェッドにある珍しい建造物を紹介したい。
長かったこの旅ももう少し。何となく寂しいが…

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