新潟県主要地方道52号
山北関川線
日本国トンネル旧道 第12部
(完結編)

2021年10月23日 探索 2022年2月1日 公開

橋を渡り切ったところから旧道方向を見てみる。しっかりとしていて、まだまだ現役で十分に通用しそうな旧一の瀬橋の先は下草がなんとも豊かな、一見するとそこに旧道なんかないように思える風景が見える。だが、道路探索者なら「そこに旧道がある」ことを一目で見抜くであろうヤブの切れ目の先に、素晴らしい風景が広がっているのは、これまで紹介した通りだ。

こんな道にボンネットバスでも走っていたなら・・・。軽三輪トラックや小さめの普通車なんかが走っていたら、ものすごく絵になったことだろう。

現道に出て、少し離れたところから旧一の瀬橋を眺めてみる。こうして見ると、橋桁よりも橋脚の方が少し新しいように見えるのは、気のせいだろうか。後に改修を受けてるのかも。
橋桁の方は、それなりに時間が経過していることを感じさせてくれるヤレ具合と言おうか、そんな状態だ。もちろん落橋しそうとか、そんなことはないので安心して頂きたい。

それにしても、この白い橋は小俣渓谷と、その背景の山々の風景によく似合っていて、実に美しい。欲を言えばもう少し紅葉が進んでいると良かったか。

これは現道一の瀬橋の親柱を写したものだ。平成11年12月完成とある。平成11年と言えば1999年。そう、あの懐かしの「ノストラダムスの大予言」で世界が滅びると言われた、あの年だ。あれは何月だったっけ…9月だったかな?。いずれにしてもこの橋が完成したのは12月だし(笑)。

なお、この銘板の文字は、平成11年度に小俣小学校を卒業された生徒の方々の手によるものと言うことだ。その生徒の方々は今30歳代半ばのお年頃、コロナ禍の今、皆さんはお元気だろうか。

これも現道一の瀬橋の親柱。「山北関川線」の上に小さくはあるが、どことなく誇らしげに「主要地方道」と刻まれているのが印象的だ。この銘板の文字も、小俣小学校を卒業された生徒の方々の手によるもの。太くどっしりとしていて立派な文字だ。平成11年と言えど、もう既に20年以上が経過していることに改めて驚く。

現道上から旧一の瀬橋の橋台を撮影。これは右側なので現道側になる。これを見ると架橋当時のままのコンクリートのように思える。橋台の茶色く変色したコンクリートと、欄干と親柱の白さのコントラストが実にいい雰囲気だ。ところでこの後、私はなぜか左を向いてしまうのだが、そこに見えたものは・・・



おや?欄干の外側に銘板がはめ込んである?。親柱に埋め込まれた銘板だから、旧一の瀬橋に関することなのは間違いないが、あの位置の銘板は初めてだ。何とか撮影したい。すぐに旧一の瀬橋を通って、外側から撮影出来ないかと四苦八苦して何とか撮影することが出来たのが、チェンジ後の画像だ!。

その銘板には「昭和廿八年三月 新潟縣土建共同組合 板垣組施工」と記されていた。この「板垣組」様について少し調べてみると、この県道52号の府屋側の村上市温出に同名の企業があり、盛業中であった。もしかするとこの橋のメンテナンスなども担当されているのかもしれない。

さて、それでは鏡岩トンネルと日本国トンネルを通って、ベースになっている車に戻ろうかな。その前に、鏡岩トンネルの銘板を撮影しておこう。竣功は2001年(平成13年)2月。おや?、現道の一の瀬橋が完成したのが1999年(平成11年)12月。となると、橋が完成しても一年ほどは鏡岩トンネルが開通しておらず、通れなかったことになる。

日本国トンネル府屋側坑口まで戻ってきた。やはりトンネルを通ると、この区間はあっという間に通り終えることが出来る。トンネルの銘板を確認すると、日本国トンネルの竣功は1998年(平成10年)3月。ふむ・・・そうすると、鏡岩トンネルの竣功だけ少しズレていたようだ。これでこの旧道ともお別れかと思うと、少し寂しい。そう思いながら、左の旧道側を見ると・・・

あれは最初に通った区間!

入口のヤブを進んですぐに視界が広がるあの場所を、小俣川を挟んで見せてくれた。20年以上前に放棄された(入口に立っていた通行止めの標識からすると、旧道化してもしばらくは通行出来たのかもしれない)廃道が「また来てくれ。待ってるぞ」と言っているかのようで、私は思わず「楽しかったぞー」と返したのは言うまでもない。


最後に、ほとんど見かけない建造物を紹介して終わりにしたい。その建造物とは、これだ。

雷雪中避難所

雷と雪から避難するのではなく、雷とは「いかつち」と言い、先ほどの一の瀬橋を過ぎて小俣集落を越え、更にその先にある新潟県側最後の集落「雷(いかつち)集落」に入る手前にある「雷スノーシェッド」の脇にある小屋だ。

この雷集落の周辺は冬季になると例年雪が2、3メートル積もる豪雪地帯のため、古来雷集落の入り口にはへつり(急斜面)があり、雪崩が懸念される難所があった。この難所は雷峠へ向かう道が県道に昇格した後(現在の主要地方道52号)、この難所に雷スノーシェッドが設置されたため、冬季の雪崩の問題は解消された。おそらくこの小屋はスノーシェッドが設置された頃に、ここに設置されたものと思うが、いつ頃の設置か調べてみたものの、正確なところはわからなかった。

この小屋は私が通った際も存在していたはずなのだが、気づかずに通り過ぎてしまったようで、この画像はやむなくネットから拝借してきた画像であることをお断りしておく(出典・・・Wikipedia)。

正直、このような建物を見たのは初めてで、現在も使用されているかはわからないが、建物自体は今もしっかりしているようなので、万が一の時には十分避難出来そうだ。


旧一の瀬橋の美しさに惹かれて、その橋に会いに行ったことから始まった今回の探索。
地図上から抹消されたその道は、廃道と言えども実に美しい風景を見せてくれた。
こういった旧道や廃道に赴くといつも思うことだが、再訪しても今回と同じ景色が見えるとは限らない。むしろ、違う景色が見える方が多いだろう。
探索したその時々が、その道にとって最高の景色であったことを思いつつ、この廃道を後にする。

いつかまた、会いに来ます。
それまで、どうか元気で。

新潟県主要地方道52号
山北関川線
日本国トンネル旧道

完結。