新潟県主要地方道52号
山北関川線
日本国トンネル旧道 第7部

2021年10月23日 探索 2022年1月12日 公開

これは前回の最後の画像だ。左側に見える小俣川の上に橋桁のようなものが見えることから、現道が近いと思ったのだが、よく見ると路面右側の壁にも何やらアヤシイところがある。おわかりいただけるだろうか、立てかけられているように見える棒(おそらくは雪崩防止柵の構成物だろう)の下側なのだが、何か歪んでいるように見えないだろうか?。近づいて確認してみよう。

やっぱり!

岩肌から薄く剥がれたように落下した石の欠片が、岩肌に掛けられた落石防止ネットに溜まって下側が膨らんでしまっている。その身を挺して路面に落ちるはずだったであろう石を抱きとめている落石防止ネット。彼はおそらく、この無数の石を抱きとめたまま、その一生を終えるに違いない。無言で道を(それも廃道になった道なのだが)死守する彼らに、思わず敬礼した。

段々と現道が近づいてくるにつれ、通行する車のロードノイズの音が間近に聞こえるようになってくる。それは、すごく静かで木の葉が擦れあう音や川が流れる水音、囁くような鳥の鳴き声が聞こえる廃道らしい環境を「ぶち壊す」のに最適な、文明的な音とも言えるだろう。少し先には「落石注意」の標識が見えるが、この道は注意しなくてはいけないところに限って、この標識が設置されてないところが非常に面白い。

ここまで来ると路面も落ち着いてきて、歩きやすい道が続く(長さはさほどでもないが)。目の前に見えるのは現道。そして、行く先に坑口を開けているのは鏡岩トンネル。この鏡岩トンネルにも旧道はあるはずなので、辿ることが出来るのなら、このままぜひ探索してみたいと言うのが本音だ。だが、まずはこの日本国トンネル旧道、キッチリと最後まで探索しよう。

ここに来てかなりの急勾配になるが、これは現道のトンネルを造る際に高低差を合わせるために土盛りがされた結果の勾配かも。で、よーく見るとここも路肩に規則的に植えられた木があるじゃないか。木の表面の感じからすると、この木は桜だろうか。小俣川沿いに進む旧道の路肩に植えられた桜の並木、時季になると美しい風景を見せてくれそうだ。

ふと左側を見ると日本国トンネルの坑口が見えた。現地ではしっかりと確認しなかったが、こうして画像を眺めていると、垂直に近い崖に開けられた坑口は坑門がせり出している、いわゆる「突出型坑門」のように見える。

ちなみに突出型坑門と言うのは、山に沿って落ちてくる落石から通行者を守るために、地山よりも坑門が飛び出ているようなデザインのことを言う。但し、この突出型坑門には延長された坑道部分の強度が不足すると言う致命的な欠点があり、現在はほとんど用いられていない。


坑口を出るとすぐ橋が直結の形で架けられて川を跨いでいるという、局改(局所改良)で線形が改良されたパターンによく見られるものだ。



日本国トンネルの銘板を確認してみる。そこには1998年(平成10年)3月の竣功年月が刻まれていた。となると、今から(2022年現在)25年前、四半世紀だ。チェンジ後の画像はトンネルの直後に架かっている橋の銘板で、この橋は「日本国橋」と言う名称らしく、橋に取り付けられている銘板の文字は地元の小俣小学校の生徒が描いたものらしい。その銘板には1998年(平成10年)12月の竣功年月が刻まれていた。今度は対岸にあるトンネルの銘板を見てみよう。



扁額は「鏡岩トンネル」。この「鏡岩」はこのトンネルが貫いている岩盤のことと想像がつく。チェンジ後の画像はこの鏡岩トンネルの銘板だ。竣功年月日が刻まれていたが、そこには2001年(平成13年)2月の日付が刻まれていた。
と言うことは、日本国トンネルと日本国橋が開通したあと鏡岩トンネルが開通するまでは、これから通る旧道が現道として使われていたと言うことだ。つまり、この道は段階的に切り替えられたのではないかと言う想像がつく。

ひとしきり日本国トンネルと鏡岩トンネル、日本国橋の周辺をウロウロして鏡岩トンネルの脇を見ると・・・。

第2ステージの始まりだ!

おそらくはこの道が、この旧道を探索するきっかけになった一の瀬橋に繋がっているはずだ。それに鏡岩トンネルの全長(158m)を考えると、この先の旧道はそんなに長くないはず。名残惜しいが、この探索ももうすぐ終わりか・・・などと呑気なことを思っていた。この時までは。

だが、私はこのあと自然と正面から戦うことになる。
そして、それが「あの規制標識」の根拠となるものだった!。

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