新潟県主要地方道52号
山北関川線
日本国トンネル旧道 第1部
2021年10月23日 探索 2021年12月19日 公開
さて、いよいよ旧道に突入するっ!・・・なんて気張ってしまうと事故のもと。いつも通りに進んでいくことにして赤い柵を跨ぐと、この通り。なかなか素敵なヤブだ。踏み跡もないようだし、掻き分けていくことにしようか。小俣川と旧道の角度と地図から、この旧道は川沿いを進んでいくはずで、美しい景色が広がっているといいな。さ、突入!。
当ったり!
ヤブの中に突入して覗き込んでみると、深いヤブは入口だけのようで、奥にはこんな景色が広がっていた。ちょっと~!いいじゃない、この景色!。閉ざされた空間に閉じ込められた景色は、こうして探索を仕掛けないと絶対に見れないものだ。しかもヤブの木々がまるでトンネルのようにアーチを作って、入ってきた私を迎えてくれようとしている。こんなことがあるから旧道探索はやめられない。それによく見ると、左側に標識柱のようなものが見える。
もう少し踏み込んで調べてみよう。
まるでアニメに出てくるような木々のアーチを潜ると、そこには別世界の景色。路肩にはデリニエータもちゃんと残っていて、何とか2車線の幅を保っている旧道。路面には真ん中に踏み分けのような跡が見えるので、いくらかの人はここに踏み込んで入っているようだ。もしかすると私と同業者の方々だろうか(笑)。錆びたガードレールと、もうヘッドライトの光を反射して光ることもなくなったデリニエータの姿が、廃道であることを物語っている。そういえば左側に標識柱が見えていたっけ。確認してみよう。どれどれ。
なんて素敵な標識!
これは車両通行止ではなくて、単純な「通行止」。と言うことは軽車両や歩行者も含めたすべての交通が「通行止」と言うことだ。しかし、その理由がない。道路管理者は、道路を通行止にする場合はその理由を明示しなくてはならない・・・などと言う理屈はここでは置いといて、とにかくこのまま直進すると、700m先で通行止となることを知らせているようだ。ここで折り返せと言うことか。それにこれは公安委員会が設置した、いわゆる「標識」なのだろうか。いずれにせよ、ここから700m進むと通行止となった原因があって、それが廃道になった原因(日本国トンネルや鏡岩トンネルを掘る要因)と思われる。いやー楽しみだ(←ヘンタイ(笑))。
森の中を広い道幅の廃道が進む。この道は供用廃止を行って地図上から抹消された道だ。だが実際に受ける雰囲気は、今にも向こうからクルマが走ってきそうな、人が歩いてきそうな、現役の道と言ってもおかしくない道が残っていた。これは、ここに踏み込んだ者だけが見れて味わえる風景だ。しばし佇んで、じっくりと堪能した。
この杉並木は廃道になってから植えられたものだろうか。これまでの道幅よりも入り込んで植栽されているようだ。でも、真ん中にはちゃんとクルマが一台通れるような道幅が保持されている。それに、植えられている杉の木をよく見ると下枝が綺麗に枝打ちされているようで、先ほどの踏み分けはここを管理する方々が通るのでつけられたものかもしれない。
整然と並ぶ杉林。足元のヤブは高いものではなく、十分に踏み分けて進めるくらいの深さだが、長靴は必須だろう。この時も私は長靴を履いていた。この画像では見えないが、左の路肩の下には小俣川が流れており、その流れの音が耳に届いて心地いい。
チェンジ後の画像は、この廃道の杉の木の根元に残っていたデリニエータ。ここにこれがあると言うことは、ここだけ道幅が狭くなっていたのだろうか。この道がどんな道だったのか、こういうものを見るとあれこれ想像してしまって、実に楽しい。
先へ進むと、廃道にお決まりの倒木。実に嬉しいアイテムだ。嬉々として乗り越える私がそこにいた。足元の草もここにきてやや深くなってきた様子だが、長靴を履いているので一向に構わず、ズンズンと進んでいく。ここで邪魔になったのは身に着けている機材。出来るだけ身軽にと言うことで削ってはいるものの、ショルダーにするかリュックにするかで迷った私はショルダーにしたが、大失敗だった。屈むと前に回ってきて、邪魔になって仕方ない(笑)。
倒木を越えると広がる、この景色。足元には笹が茂ってはいるが、この道が現道だったころには木々に囲まれた非常に美しい道だったことがよくわかる。道幅はやや狭いものの、今でも散歩したくなる美しい道であることは間違いないと思う。この廃道を探索したのは10月の後半だったが、もう少し遅い、いわゆる紅葉の時季だともっと美しかっただろうと悔やまれる。
廃道はいよいよ小俣川の川沿いへ。
そこに広がる景色は「廃道」の名に恥じない
廃の香りが漂う、実に美しい景色だった。