新潟県主要地方道52号
山北関川線
日本国トンネル旧道
2021年10月23日 探索 2021年12月15日 公開
今回の舞台は新潟県主要地方道52号。
この道路は新潟県村上市府屋と山形県鶴岡市関川を結んでいて、その総延長は18.2km。通過している地域は、厳冬期には積雪が数メートルにも及ぶ非常に雪深いところであり、新潟県側の山間の小さな集落である「雷(いかつち)」から県境の「雷峠」を越えて終点の鶴岡市関川までが冬季通行止めとなる、まさしく山岳路線のコースである。
それでは、場所の確認をしておこう。おなじみの地理院地図である。
国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載
1枚目の地図はこの主要地方道の全体を表したものだ。
新潟・山形両県を結ぶ県道は、この主要地方道52号山北関川線と、新潟県・山形県一般県道349号鶴岡村上線(通称朝日スーパーライン)の2本しかなく、その中でもこの52号は新潟県と山形県の境にある山並みの新潟県側を走っていて、同じく山形県側を走っている国道345号の補完的役割も担っているのかもしれない。
2枚目の画像は探索地点をズームしたものだ。旧道は府屋側から来ると日本国トンネルに入る直前で右に逸れて、そのまま小俣川の左岸をなぞっていくと言うコースを取る。地図上では、小俣川の右岸は川のすぐ脇まで等高線が描かれているのに対し、左岸は等高線と川の間に不自然な空間があることに気づくだろう。その空間は日本国トンネルを越えて次のトンネル(鏡岩トンネルと言う)を出たところで現道に合流して、その空間は無くなっている。これが日本国トンネルと鏡岩トンネルが開通する前の県道52号旧道の姿で、地理院地図で道路記号が抹消されていると言うことは、道路の供用廃止を行ったと言うことであり、完全な廃道といえるだろう。
ところで、もともと私がここを訪れた理由は別にあった。それは一本の美しい橋だ。その橋は、訪れた私を自らに繋がる旧道に引き込んだと言ってもいいかもしれないし、呼び寄せたと言っても過言ではないと思う。なにせ、その橋の存在を知ってから2週間後の今日には、こうして会いに来ているのだから。その橋とは、これだ。
この橋は「一の瀬橋」。新潟県の名橋百選にも選出されていて、周りの緑に白い欄干が映えて、実に美しい。日本国トンネルが開通するまでは当たり前の話だがここが現道で、旧き当時にはここをボンネットバスが通っていたらしく(おそらく雷集落へ向かう新潟交通のボンネットバスと思われ、いすゞのTX系かもしれない)、その風景を想像すると実に楽しくて美しく、これは現地に行って実際にその橋を見ないと始まらないだろうと、この一の瀬橋を訪れたのだ。
ここから見る限りでは、一の瀬橋の先に道の姿などないようにも見える。だが、橋があったと言うことはここに道があったと言うことで、橋だけポツンとあっても仕方ないので(58号の「山の相川橋」でもあるまいに)、当然そこに接続する旧道があったのではないかと言う初歩的な疑問に、恥ずかしながら現地に着いて一の瀬橋を眺めてから、そう思ったのだ。
これはこの一の瀬橋に繋がる旧道を探索しなくてはいけない。私は急いで日本国トンネルの府屋側坑口に引き返した。
(日本国トンネルの府屋側坑口に引き返したのは、一の瀬橋側に車を停めるスペースが見当たらなかったからである。一度通っただけとは言えど、車を停める場所を確認していたところは習性と言うべきか(笑))
日本国トンネルの府屋側坑口に戻ってきた。坑口の手前にある空き地にクルマを停め、そこをベース基地とした私は周辺の撮影を始める。これは日本国トンネルの直前にある青看板だが、実にシンプルで良い。
県境 11km
このまま走ると県境、そこにある峠は「雷峠」。これまで通ってきた峠の中で(レポートになっている峠もあれば、そうでない峠もあるが)、一番印象的な名称であることは言うまでもない。
たぶん、ここはもう一度訪れそうな気がする。そんな気がした。
さて、問題の旧道分岐点と思われるところだ。なるほど、右側になにやら怪しげなヤブがあって、そこだけガードレールが途切れて取り外し可能な柵に変わっている。よくよく見れば「ここが旧道の入口ですよ」と言わんばかりに存在を示しているじゃないか!。
ここまであからさまに「旧道がありますよ」と言われれば、探索しないわけにはいくまい!(←と言いながら見落としたヤツ)。
車に戻り装備を整えて、再度同じ場所に立ち、旧道と対峙する。
供用廃止となった旧道なら管理がされていないので、その道筋は相当荒れていることも予想される。いわゆるガチの「廃道」ってやつだ。最近こうしたガチのやつは巡り合わなかったので、久しぶりに最高潮まで気分が盛り上がってくるのが自分でもわかる。脳内でアドレナリン出まくりだ。
さて、行こうか。
探索開始!