山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 大針洞門

第5部
里道の聯路

2023年9月30日 探索 2024年1月14日 公開

里道の聯路

画像というものは難しいもので、撮影当初は「これは記録しておかないと」と思って意気込んで撮影するものの、しばらくの時間が過ぎて同じ画像を見てみると「はて、これはなぜ撮影したんだろう?」と悩んでしまうことがよくある。実は、この画像の前にもう一枚画像があり、それがまさしくこのパターンで、いくら考えても思い出そうとしても、画像から感じられる趣旨がわからないのだ。つくづく「撮影する時には「後から見てもその趣旨がわかるように」気を付けないと」と実感する次第である。

さて、前置きが長くなってしまったが、この画像は前章最後で出てきた崩落個所から少し先へ進んだ画像である。石組みではないものの、これはこれでなかなかにどっしりとした風格がある苔生した擁壁なのだが、実はこの手前で派手に崩れている擁壁でもあるのだ。このまま残ってくれていれば指折りのいい風景になっただろうに、残念である。

ひとしきり擁壁を眺めたあと、ふと振り向くとこんな風景が見えた。川岸に茂っている木々の隙間から大針の集落が見える。地図を眺めてみると、私が今いるこの地点の少し前に赤川を渡る橋が一つあり、この廃道が現役時代のころに大針の集落に入るには、この橋を渡るしかなかった。現道に切り替わって県道が直接集落に入ることによって利便性は格段に向上しているので、この点でも道の切り替えは成功したともいえるだろう。だからこそ、この旧道は通行できるように維持していただきたかったところもあるが…

道を護り切れずに崩れている擁壁に別れを告げて、現道の合流点を目指して進むと目の前に現れたのは、廃道ならではのおなじみのアイテム、倒木である。この画像は、その倒木を越えてきたところ。もっとも、越えてきたなんてたいそうなものじゃなく、ただ単に下を潜り抜けてきただけなんだけど、およそ道であっただろうところに、倒木と苔生したガードレール。廃道に必要な要素が最小限揃っている風景だ。贅沢を言えば、これにカーブミラーや落石注意の標識、もっと欲を言えば回収し忘れたヘキサなんぞが残っているとバッチリなんだが…(笑)

倒木を愛でたあと前方を向くと、そこにははっきりとした道の形が残る風景が見えた。道の左右は草に覆われ、先ほどまで一部見えていたガードレールもヤブに覆われて見えなくなってしまっているし、山側も迫り出してきた下草に浸食されているという、昔の里道や聯路の面影を見せてくれる道になっていた。現道に切り替わってそれほど時間が経っていないはずだが、それでもこんな風景を見せてくれる。自然の回復力とは凄まじいものだと改めて実感してしまう。


ところで、旧版地形図にしばしば登場する「聯路」はどういう道なのか、ここで少し解説しておこう。昭和10年に刊行された陸上自衛隊による『地形図図式詳解』には、3メートル道は野砲を、2メートル道は輜重車を、1メートル道は駄場を、小径は単独者を通しうることを基準とすると記されている。これを元にいろいろ調べたところ、日本地図センター発行の「地図記号のうつりかわり」という本にたどり着いた。この本の用語解説では、里道(りどう)の分類として以下の様に記述されていた。
「達路(たつろ)」著名な両居住地を連絡する道路、および著名な居住地から出て、また国県道もしくは他の達路より分岐して数町村を貫通する道路
「聯路(れんろ)」隣接する市町村の主要な居住地を連絡する道路
「間路(かんろ)」「聯路」間を結ぶ小路

この「里道」の分類「達路」「聯路」「間路」は明治24年式~明治42年式で用いられたが、大正6年式でこの分類は廃止され、「里道」は「道幅一間半以上」「道幅一間以上」「道幅半間以上」の様式に変更された。だが、なんとも風情のある道の呼び名で、本来の数値の設定はともかく、私はこの道の呼び方が大好きだ。


少し進むとヤブは薄くなってきて、往時の道の姿を取り戻し始める。相変わらず下草は茂っているものの、通行するのに苦労するというほどのものではない。左には苔生して一部には錆が浮かんでいるガードレールが見えるし、右の山側には緑が茂る山肌。そして、前方のカーブには…あれはカーブミラーじゃないか?。走って行きたい衝動に駆られるが、グッと抑えていつもの通り平然を装って進む私だ(笑)。

木々がよく茂った、山側の斜面。現道時代はきちんと刈り込まれていただろうから、ここだけでも時間の経過を感じさせてくれる。画像左側の端っこには「私も写りたい~」と思ったのか、カーブミラーが写りこんでいる。走っている車はきっとみんなあそこで減速したんだろうなと思うと、現役時代の風景が見えてくるようだ。

ここに来るまでに探索した、国道345号の鍋倉トンネルは電線の管理道として活用されていたが、この道は電線も架設されてなくて(というか、移設されたんだろうと思う)、純粋な「廃道」とも言える(だが、実は国土地理院の「地理院地図」で見てみると、幅1メートルから3メートルの「軽車道」として描かれているので、実際にはまだ廃道にはなっていないのだが…)。

ここまでくると、現道との合流はもうすぐ。この旧道も楽しい道だったが、それがもうすぐ終わってしまうことが非常に残念。でも、こうして道と知り合えたので、また訪れることが出来るということが何よりも嬉しい。この道のためにも、最後まできちんと探索することにしよう!。

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