山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 大針洞門

第3部
「壁の向こうの闇」

2023年9月30日 探索 2024年1月6日 公開

壁の向こうの闇

さて、前回の最後から進んでいない。え?なぜかって?。それは、この場所から前方に立ちはだかる壁の観察をしていたからだ。ついつい観察するクセが付いているもんだから、こういう時にはじっくりと観察してしまう。

さて、観察した結果だが…おそらく洞門の入口にコンクリートブロックか何かが置いてあると見た。問題は、それをどうやってかわすかだが…一つ作戦があるので、まずは接近してみることにしよう。さ、いよいよ突入だ。

慎重に進んで、緑の壁の裏を覗くとありました。手で押したくらいではビクともしないような(←当たり前だ)コンクリートのブロックが。ちなみにこれ、このブロックの前に土を盛った壁が一つあって、それに草が茂ってたというわけだ。で、その後ろにこれ。問題はどうやってこのブロックの壁をかわすかだが…

一つ方法はある。それがどんな方法かは、このWEBを見て頂いている方々なら、きっと同じ方法を取ると思う。この場合、上から乗り越えようとしてもダメだ。そう考えている方々がおられるなら、それはやめた方がいい。仮にこのブロックの上に上がれたとしても、そこから降りるのにロープがないと降りれないし、そのまま降りようとしたら非常に危険だ。…ヒントは「左側」とだけ言っておこう。

よし、越えたぞ

越えたのはいいものの、この壁の禍々しさには、これから待ち受ける「何か」がとんでもないことになっていそうな予感をさせる。そうでなければ、ここまで強固にコンクリートブロックを積み上げることもなかったはずだ。となると、ここから先は絶対に通さないという気概を感じる。さて、何が待っているのか。

ひとまず、洞門の中には入ることが出来た。こうしてコンクリートブロックを越えた中の空間は、ものすごく静かな空気と時間が流れていた。これは乗り越えた者でないとわからない、至福の時間と言えるだろう。そして、おもむろに(期待を込めて)振り返ると…

ここから見ても、途中で洞門が延長されたのは誰が見てもわかるだろう。手前側はロックシェッド、そこから先は施工方法が変わって、そこに黄色と黒のゼブラが施されている。これは途中でロックシェッドの部分が追加されたということであり、つまりそれだけ危険な道だったということだ。やがて抜本的な対策が施されることになって、赤川の対岸に道が移設されても、仕方ないかなという気がする。

今、ここから見る風景は、まさしく衰退の風景だ。だがその反面、今もこうして赤川の川岸から光が差し込む、明るい洞門でもある。その風景は、この洞門の現役時代の姿をよく残しているといえるだろう。だが、その明るい道が進む先は、漆黒の闇のようにも見える。果たしてこのまま私は進んでいいのか、一瞬躊躇はするものの、それは止めることはできなかった。

私は進む。

路面にツタが這い始めている、退廃の風景。光の先には山々の風景。この道が現役だったころには、美しい風景が見れたことだろう。赤川側の大きく開かれた柱と柱の間に立って、あたりの風景を眺めてみる。真下に見える赤川に落ち込むように続いている、洞門からの絶壁。仮に洞門から落ちたら間違いなく赤川に沈むが、そこには赤と白に塗られた、いかにも華奢な柵と言えるようなものしかない。それがまたいいじゃないか。

先に見えた、闇に突っ込んでいく前に、今通ってきた来た道をもう一度振り返る。そこは非常に静謐な空間で居心地はいいが、路面には蔦の草が這いまわり、あと数年もすれば赤川側の大きく開かれた空間の明るい日差しが、ここを下草だらけの場所にしてしまうだろう。そうなる前の最後の瞬間が、今の私の目の前にある。この風景が見れるのは、もうあと少しかもしれない。そう思うと、この居心地のいい空間が失われてしまうのは非常に口惜しい気がする。
さて、それじゃ行こうか。この風景に別れを告げて、いざ、闇の空間へ!。


…と、隧道じゃあるまいし、洞門が闇の空間になるのは途中で崩落してしまって、先に進めない場合だけだ。ここに来る前に、この洞門のことは下調べしてあり、幸いにも洞門自体は崩れずに存在していることがわかっている。てことは、あの先の闇の空間はおそらくは洞門が途中でカーブしていることによる暗さだろう。もしかしたら、洞門の出口には何かしらの道路の損傷があるかもしれないな。だが、それは進んで行けばわかることだ。せっかく来たんだ。状況も含めて楽しまにゃ、ね。

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