山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 大針洞門

第2部
「栄華と衰退の面影」

2023年9月30日 探索 2023年12月29日 公開

栄華と衰退の面影

出たっ!ヤブ!

いやぁ、なかなか素敵なヤブじゃないか。右側には山の斜面が、左側には赤川に落ち込む谷があり、そこには第1部「使命」で紹介した、あのガードレールが続いているはずだが、全く見えやしないほど緑に覆われてしまっている。こういうところに来ると毎回決まって「自然の回復力ってのはすごいもんだ」と感じてしまう。

さて、正直「今からここに突っ込んでいくのか」と思うと、非常にワクワクする。だが、道形ははっきり見えているので、その通りに進めばいいだけだ。むしろ路面には気を付けないといけないだろう。路面が崩れやすかったり、酷いと陥没していたり…。ヤブで路面の状態が確認できないので慎重に進まないといけない。そうまでして通っているこの道は、この先どんな景色を見せてくれるのか…!

ふいにヤブが切れて、ここだけ路面もちゃんと見えて、ガードレールもちゃんと確認できる、オアシスのようになっている空間に出た。別にここだけ特別に何かが施されているというわけでも無いようで、至って普通の廃道のようだが…?。

実は、ここに限らず各所の旧道や廃道に言えることだが、こうしてヤブを進んでいくと、たまにこうした空間に出くわすことがある。こういうところは雰囲気も落ち着いていて、ちょっとした休憩ポイントになっているのだ。そこは実に落ち着ける空間になっていて、立ち止まると現道当時の喧騒が目に浮かぶような気になる素敵な場所だ。こうした場所がたまに出てくるので、また先へ進もうという気になってくる。ある意味、これは実に意地悪な罠だと思う。

先ほどの場所から更に少し先へ進んでみると、これまでよりはヤブの密度が格段に少なくなっていた。路面もガードレールも視認出来て、前方左側のガードレールの袂にはカーブミラーのようなものも見えているし、否が応でも廃道を探索しているという雰囲気が盛り上がろうというものだ。

現道当時は、この道は日光を遮るものもあまりなく明るい道だったことだろう。ただ、山の法面が間際に迫っているだけに、土砂崩れなどの災害と隣り合わせだったかもしれない。脇を流れる赤川の反乱は…上流にダムが設置されている関係上、氾濫することはあまりなかっただろう。となると、やっぱり土砂崩れか…。こうした道を探索していると、この災害は道にとって、切っても切り離せないものの一つであることを間近に感じてしまう。

カーブミラーのところまでやってきた。ミラー面が付いているかと思いきや、そのポールだけだったが、ここにこうして保安施設の一つがあった名残に出会えたということは、その昔はこの道が確かに生きていたということの証でもある。

廃道というものは、実に美しい。そこには「それ」が大いに栄えたであろう栄華の面影と、やがて廃れてしまった衰退の面影が同時にそこに存在する、稀有な存在だと思う。そして、そこを探索するものが心の中のチャネルを変えれば、そのどちらも見ることが出来る場所でもあるのだ。こういう場所は一生の中でそう簡単に出会えるものではなく、そうした経験をさせてくれる廃道に、私は感謝している。…などと思いつつ、この小さな右カーブを進んでいくと、そこには…!。

うおおおっ!あれは!

洞門が見えるっ!。あれが大針洞門(仮称)かっ!。
一気にテンションはMAXになって、ここは全力で走っていきたいところだが、グッと押さえてゆっくり近づいていくという大人の対応を、なぜか取ってしまう私だ。…え?、なぜそんなことをするのかって?。正直に言おう。実は私も知らん(笑)。ま、廃道に対する、単純な私の強がりだろうな。

それはともかく、この洞門に繋がる道の面影は非常に素晴らしい風景だ。願わくば、ここにヘキサ(県道番号標識)とか落石注意とかの標識類が残ってくれていると楽しいが、この風景を前にそれは贅沢というものか。

洞門手前になると、道幅はだんだんと狭くなっていく。これは右側の山の斜面に茂っている緑の影響が大きいだろうな。それ以外は現道時代の面影をおおよそ保っていると思うが、一つだけ気になることがある。洞門を塞ぐように立ちはだかる緑の壁はなんだ?。ただ単純にヤブが茂っているにしては、あれは不自然すぎる。今、私の脳裏に思い当たることは一つだけだが…それはまだ極力思わないことにしよう。

だが、気にする自分がいる。中に入れるか?。一気に不安になってくる。それはないと思いたい。だが、仮にそれがあったとすれば、私は何が何でも乗り越えていくつもりでもある。それを確認するために方法はただ一つ。接近して確認していくだけだ。

次回、いよいよ洞門内部へ…いけるか?

第3部
「壁の向こうの闇」へ