一般国道7号旧道
蒲萄峠
2018年7月26日 探索・2018年7月27日 公開
夏の日差しが厳しい2018年7月の終わりころ、私はその場所に向かった。
場所は新潟県北部、村上市にある蒲萄峠。
海岸沿いを走る外海府(そとかいふ)の道と比べて通りやすかったとされている内海府(うちかいふ)の峠道は、実は1966年(昭和41年)に現在の道筋が開通するまでは、隧道が一本もない峠道だった。
標高としては僅か260メートル程度の蒲萄峠は新潟側から来ると、前に長坂峠、後に大毎峠など、峠に峠を重ねることから古くから難所として知られ、出羽街道時代から明治新道の馬車道、大正の旧制国道、そして現在の道へと変遷を重ねていくことになる。
そして、その時々で道筋が大なり小なり変わってきた。
笹川流れに代表される外海府の狭路隧道群と同じく太古より難所として知られ、かの松尾芭蕉も歩いた、新潟から庄内地方へ抜ける旧出羽街道。これから紹介する道が1920年(大正9年)に旧制国道10号として指定され、1952年(昭和27年)には一級国道7号として指定された道。その道筋を、1920年(大正9年)の旧制国道10号指定時には乗合自動車(バス)が運行されていたそうである。それ以来、長らく車道として人や荷物の往来が絶えなかった明治新道だが、昭和30年代後半に計画された一級国道改良計画により国道7号もその対象になって工事が進み、1966年(昭和41年)に蒲萄村の中心を通る現在のルートに変更、明治新道は旧道となる。
時代により様々なルートで変遷を遂げ、多くの人を、多くの車を大動脈として通してきた蒲萄峠。
今回の探索では旧制国道・一級国道であったことの誇りすら感じさせる場面もあった。ある意味、色濃く明治新道の面影を残す道をこれから辿ることにしよう。これからしばらくの間、過去に想いを馳せる旅にお付き合い頂ければ幸いである。