一般国道49号
花立の短い旧道
第1部

2022年5月4日 探索 2023年4月29日 公開

森の木々に囲まれた道

さて、久しぶりに旧道の探索の開始だ。最初の地点から少し進んだ地点になるが、ここでも綺麗に下草が刈られ、非常に歩きやすい。先に電柱が見えることから、どうもここは電柱の管理道として使われているようで、だからこそ道の形がはっきり残っているんだと思う。そういう意味では完全な廃道ではないとも言えるが…まぁいいだろう。

ここから自分の進行方向を眺めていると、ここは現道と旧道の差がよくわかる地点と言うことに気づく。現道と旧道の2本の道は、ここでは寄り添うように左にカーブして花立の集落を目指して進んでいるが、現道の方が一段低くなっている。それに対して旧道は、ここではまだほぼ水平を保ちながら先へ進んでいた。道幅は1車線と少しほどの幅で、対面通行が出来る幅ではない。当時は通行も大変だっただろう。

道の端にあった側溝を覗き込んでみると、なんとも綺麗な水が流れていた。これまでこういった道で私が眺めてきた側溝は、長年積もった土が入ってすっかり埋まってしまったものがほとんどで、旧道や廃道でこうした側溝は初めてと言ってもいいかもしれない。もしかすると、今でも農業用水として使われているのだろうか。しばらく眺めていれば沢蟹でも歩いて出てきそうなくらい綺麗な水で、側溝の底にはこれまた綺麗な川砂が堆積していた。

さほど距離がない旧道なので急ぐこともなく、のんびりと先へ進んでいくと現道との高低差が大きくなっていく。現道は徐々に下りながら進んでいくのに対して、旧道はここでもそのまま高さを変えずに進んでいる。だが、現道と旧道はどちらにしてもこの先で同じ高さになることはわかっているので、旧道はこの先で辻褄を合わせるために激坂になるのか?!と思ってしまう。

その旧道は実にいい感じの雰囲気を保ちつつ(笑)、森の中に突っ込んで行く。そして道の脇には相変わらず電柱が寄り添っている。電力会社の方々は、ここで保守作業を行われるのだろうか。そういえば山の中でも時折保守道を見かけることがある。そういった道は大抵の場合、登山道よりも登山道っぽい冗談みたいな道が多かったりするが、そういったところを通って電線の保守をされてるんだなと思うと、頭が下がる思いだ。

ん~!いいじゃないか!

これですよ、これ!。やっぱり道はこうじゃないと!(←違う)。
森の木々に囲まれた道は芽吹いたばかりの緑の色が非常に綺麗だ。路面には一部に笹の姿が見えるが、その背はさほど高くなく楽に歩いて進むことが出来る。路肩には電柱と側溝が見えるが、その幅を除くと路面が極端に狭くなることから、現道を造る際に旧道の路盤が少し削られているようだ。現道側にある杉の木が旧道の姿を隠してしまって、この旧道の姿は現道から見ることは出来ないというのが、なんだか隠された道と言う雰囲気で、実に良い。

上の地点から進んでいくと、道は右カーブになって現道に沿うような道筋になる。この画像の地点はその右カーブの地点だ。ここで立ち止まって眺めていると、カーブの向こう側からボンネットバスでも出てきそうな雰囲気で嬉しくなる。また、この旧道の全長は当初は短いと思っていたが、なかなかどうして意外に長くて楽しい。それに廃道にお決まりの倒木もあると言うのがまたいい。何も施工されていない法面や、その下にあるであろう側溝も、普通の道ではごくありふれた見慣れたものだが、それがこの道の開通時からと思うと感慨深い。

ここから福島県側に少し走ると、新潟県との県境に鳥井峠がある。この鳥井峠は当WEBでも既にレポートになっているが、この付近の一次改良工事が竣功したのが1971年(昭和46年)。ということは、この道が旧道化してからおよそ52年ということになる。もちろん、この道はそれより以前の開通だろうから、それ以上の時間が過ぎていることは間違いないだろう。



先へ進んでいくと、道の中央に何か四角いものがある。最初は何かの建造物の跡か、それより他のもっと得体の知れないものか?と恐る恐る近づいて確認してみたのが、チェンジ後の画像だ。どうやらトタンに塗る油性の塗料の缶らしい。辺りにこれを塗るトタン(リンク先はWikipediaです)らしきものや、他の金属性のものも見当たらないのだが…となると、これはおよそ後から捨てられたんだろうな。忘れものか、不法投棄か…いかんですね。

ところでここ、その幅や当時の路盤の姿がよくわかる場所でもある。道幅が実に狭い。およそ普通車1台と歩行者が通る幅でいっぱいかな。現道を造るときに仮に少し削られたにしても、そんなに大差はないだろう。その昔、この狭い未舗装の道が、今や太平洋側と日本海側を結ぶ大動脈の国道49号だったとは俄かには信じられないが。

次回、旧道は更に山の奥へ。

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