一般国道402号
角田トンネル旧道

色見隧道 第3部

2019年11月24日 探索・2020年1月3日 公開

塞がれた隧道

さて、いよいよ色見隧道とご対面だ。とは言え、このように坑口がしっかりとコンクリートで塞がれている(涙)ので、隧道内部の確認はできない。廃止された隧道の坑口をこうしてしっかりと塞いでしまうのは北海道の国道に特に多いと聞く。北海道では廃止された隧道をそのまま放っておくと、動物(ヒグマ)の冬眠の場所となる危険性があるので、きっちり塞ぐのだそうな。
ちなみに、国道に関して直轄国道と補助国道があると言うことは当サイトでも何度かお話してきたが、北海道の国道は本州の国道とは違い、少し特殊な扱いなので、ここでも再掲しておこう。


国道を建設するのは原則として国(国土交通省)だが、一般国道の管理では、政令(一般国道の指定区間を指定する政令)で指定されている「指定区間」と、それ以外の「指定区間外」と分けられている。この「指定区間」は、おおむね路線番号が1桁・2桁の国道が指定されているが、2桁国道であっても指定区間外であったり、3桁国道でも指定されている区間もある。また、国道の起点から終点までの全区間が指定区間というわけでもなく、例えば国道1号ではほとんどの区間が指定区間に指定されているが、横浜市内および箱根付近では指定区間外となっている箇所もある。このように、指定区間は一般国道の中でもとりわけ重要な路線や区間が指定されており、この区間では災害時の復旧や道路の改修などの道路の維持管理において、国(国土交通省)が直接管理することになっている。この政令で指定された「指定区間」を「直轄国道」と言う。
これに対して「指定区間外」は、かつての二級国道の多くのほか、1993年(平成5年)までに国道に昇格した旧主要地方道・一般都府県道の三桁国道のほとんどが含まれ、管理は国から補助金を受けて各都府県と政令指定都市が行う。この「指定区間外」を「補助国道」と言う。
但し、北海道は道内の全ての国道を国土交通省北海道開発局が管理しているため、道内の国道の全区間が指定区間になっている。このため北海道の国道は全路線が直轄国道ということになる。(一部引用・参考資料・Wikipedia「一般国道」から)


と言うことで、話が北海道の国道に逸れたが(←この人は北海道のことになると話が止まらない)、色見隧道の話に戻そう。

現道と旧道を比べてみると、旧道の色見隧道は魚見橋の延長と角田トンネルを含めた長さになるので、もちろん現道よりも延長が長い。それに坑口を見ただけだが、幅も高さも隧道の大きさ自体が角田トンネルよりも遥かに小さく、この隧道の幅だと対面通行は無理だろう。幸いなことに扁額が残っていて、これは非常に嬉しい。早速確認してみよう。

なかなか立派な扁額だ。画像ではわかりにくいかもしれないが、立派な毛筆の書体で「色見隧道」と彫ってある。その他に装飾などは特に見られないが、こうして質実剛健な扁額もなかなか好きだ。だが、この扁額に合わせるにはポータル(坑口の構造)が多少質素な気がする。これなら、スパンドレルも坑口のアーチも、もう少し装飾があってもいいなぁと言う気がする。もしかして、後世になって強度を保つためにコンクリートで埋められてしまったのだろうか。坑口の周辺を確認してみよう。

坑門の横に回り込んでみた。このように、坑門の部分だけが外に飛び出している。突出型坑門ではないようだが、そうでなくても隧道の通行者を上部の落石から守るために、坑門全体が前に出ているのかもしれない(ちなみに突出型坑門と言うのは、山に沿って落ちてくる落石から通行者を守るために、地山よりも坑門が飛び出ているようなデザインのことを言う。但し、この突出型坑門には延長された坑道部分の強度不足と言う致命的な欠点があり、現在はほとんど用いられていない)。

この色見隧道の坑門をじっくり見てみると、なかなか興味深い。先ほどの突出型坑門ではないが、少し角度を変えて見てみると、右側の坑道の内壁が地山の法面にギリギリで、坑門全体が半ば地山にめり込んだような感じになっている。しかも突出している左側の坑門の、地山との隙間を埋めるコンクリートの仕上げはなかなか雑(笑)。全体的に言うと坑門が右の地山にめり込んでいるかのような印象を受けるのだ。

これは不自然で、そもそも最初から坑門が設計されていたのであればこんな形にはせず、ちゃんと坑門が見える形で掘り進めていくと思う。少なくとも右側の地山の法面と隧道の坑道の内壁の位置が同じになるような掘り方はしないと思うのだ。ここから推測されるのは(あくまで推測だが)、この色見隧道は掘られた当初は坑門などなく、人が通れる程度の素掘りの隧道だったのではないか。そして県道に指定される際に車が通れるように拡張され、坑門が造られた。つまり坑門が後付けということだ。
これなら、右側にめり込んだような印象を受ける坑門も、法面と坑道の内壁が同じ位置なのも、坑門の左側だけ少し前に出ているのも、すべて説明がつく。もしそうだとするなら、これは非常に面白い。ぜひ、反対側の坑口も確認してみたい。だがその前に魚見橋周辺を確認してみよう。

これは魚見橋の親柱だが、まずは色見隧道側の親柱を調べることにした。ここには新潟寺泊柏崎線とある。これは国道に認定される前の主要地方道だった県道時代の名前で、この名前が魚見橋の親柱にあるということは主要地方道から国道に昇格する前に、色見隧道は廃止になったということでもある。国道402号が国道に昇格したのは1982年(昭和57年)4月1日なので、魚見橋はそれ以前の竣功になるということになるのだが。竣功年月日はいつなんだろう?。角田トンネル側の2本の親柱を調べてみよう。

この親柱は魚見橋の角田トンネル側親柱だ。竣功年月日は昭和50年4月とある。と言うことは、魚見橋は越後七浦シーサイドラインの北側部分、間瀬~角田浜までの区間が開通した1975年(昭和50年)7月の前に竣功したと言うことになる。色見隧道が廃止になって閉鎖されたのも、おそらくこのあと間もなくだろう。となると…旧版地形図か、航空写真の出番か?。


この辺は机上調査で調べることにして、今はまず現地調査を進めよう。色見隧道の角田浜側の坑門がどうなっているか、非常に気になるところだ。まずはそこへ行ってみよう!。

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