一般国道402号
角田トンネル旧道
色見隧道

2019年11月24日 探索・2019年12月22日 公開

一般国道402号は、起点が柏崎市柳橋町交差点、終点が新潟市中央区の本町交差点、総延長108.5キロの一般国道である。柏崎市から新潟市の間には国道8号や国道116号などが走っているが、この国道402号はそのルートのほとんどが日本海沿岸を走っており、長岡市寺泊野積から新潟市西蒲区角田浜の区間は、越後七浦シーサイドライン(えちごななうらシーサイドライン)という愛称があったりして、観光路線の側面も持つ国道だったりする。
また、沿線には数多くの心霊スポットがあるようで、私もその方面は決して弱くなく、むしろ強くて困るくらいなのだが、この道に関しては幸いなことに一向にその気配を感じないので、訪れる方はぜひ安心して訪れて頂きたい(笑)。

さて、この一般国道402号のいきさつは間瀬隧道調査編でも少し触れたが、ここでも触れておこう。
一般国道402号の中でもこの「越後七浦シーサイドライン」と呼ばれる区間は、同じ新潟県の村上市にある「笹川流れ」と同じように、海岸沿いの断崖絶壁を抜ける難所の区間だった。それは徒歩でも往来に苦労するような状態で、海岸沿いの集落にとって長きに渡り交通のネックだったのだが、その状態を解消するためにこの402号の前身の県道が計画され、1971年(昭和46年)に着工する。実に崖を削り、岩に穴を開ける難工事の連続の末に、間瀬を中心として南側の寺泊町野積までが1974年(昭和49年)6月に開通、北側の角田浜までが翌1975年(昭和50年)7月に開通して、越後七浦シーサイドラインが全通した。当初は新潟県の有料道路として供用され(地元民は無料だったらしい)、新潟県企業局が管理していたが、1982年(昭和57年)4月、国道402号に指定されたことで無料化され国道に編入され、現在の形になる。
この有料道路時代の名残は、現在の道路上にも残っている。その場所は、この道を新潟市側から来ると「ラウンドアバウト」の交差点を過ぎ、更に少し走ると左側に封鎖された駐車場、路面に丸い構造物、そしてなぜか短い中央分離帯がある、少し鬱蒼とした場所を通過するのだが、この短い中央分離帯がある場所こそ、元の有料道路の料金所の跡だ。

また、この国道402号は原子力発電所に影響を受けた道でもあった。
このシーサイドラインを通っていると、間瀬から五ケ浜にかけて道は海岸部を離れ、山の中へ突っ込んで行き海岸部を大迂回している。この迂回した部分の海岸部には、かつて角海浜と言う美しい集落があった(この辺は一般国道460号旧道五ケ峠第4部完結編を参照)。
1969年(昭和44年)に東北電力が巻原子力発電所の建設計画を発表したことから、そこを通過していた新潟県一般県道新潟寺泊柏崎線(のちの国道402号)も角海浜を避け、山側に大迂回することになった。角海浜は原発建設に伴って1974年(昭和49年)までに住民が全て転居し廃村。東北電力は1982年(昭和57年)、国に原子炉設置許可の申請を提出するものの、1996年(平成8年)に建設是非の住民投票が行われ、その結果反対派が勝利し、巻原子力発電所は建設中止となった。今でも角海浜付近は東北電力の所有地となっている。余談だが角海浜集落の跡地に入る直前には「角海浜隧道」があり、今は遠くからその存在を確かめるだけとなっているが…行ってみたいものだ。

さて、色見隧道の話に戻ろう。
そんな国道402号の中でこの色見隧道は、国道を走っているとすぐにわかるほど非常にわかりやすい、存在感ありありの場所にある。だが、その色見隧道に付帯した旧道らしき跡はなかなかわかりづらいのか、ほとんど紹介されていない。そこで今回は、この旧道を含めた色見隧道をお送りしたいと思う。では、まずはおなじみの地図を見てみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

「地理院地図」の地図に注釈を加えたが、色見隧道の部分は追記の部分だ。だが、位置関係はおおよそあっていると思う。この魚見橋が渡っているのは川などではなく、地形の切れ込みに対して橋を架けており、角田トンネルと魚見橋はほとんどくっついている状態で存在している。
これに対して色見隧道は、現道の角田トンネルよりも更に山側の斜面を貫いている。そして色見隧道に繋がる旧道と思しき道跡は、画面下側の間瀬側の海岸沿いに短く存在している。車で通行していると簡単に見落としてしまいそうで、意識して見ていないと通り過ぎるのは実際に一瞬なのだが、そこには青空に映える、実に美しい風景があった。

それでは机上調査はこのくらいにして
さっそくその風景を見に行くことにしましょう!

第1部へ