一般国道352号
椎谷岬トンネル旧道
第5部(完結編)
2019年11月17日 探索・2019年12月18日 公開
旧道を通って坂の下側のバリケードに辿り着いた私は旧道を引き返し、椎谷岬トンネルを通って坂の下集落側にやってきた。まだ探索していない坂の下集落側の分岐点を確認するためだ。
ところで、私がこの地点に訪れたのが初めてであっても、おそらくここに旧道があるということを疑っただろう。それは右側の歩道の脇にある防波堤が続く線形だ。旧いトンネルが掘り直されて見かけが新しくなり、旧道があるんじゃないかと疑う場合ももちろんあるが、最初からトンネル(この場合は隧道か)しかない場合においては、右側の防波堤は道に沿って作られているはずで、このように道と防波堤が大きくズレている場合には、現道のトンネルと海岸線の防波堤の間に旧道が存在していることが多い。ここで言う旧道の分岐点は、右側の歩道上に背中を向けている標識があり、そこから右へ脇道が分岐しているが、これが海側へ走る旧道の分岐点である。
その旧道の分岐点がこれだ。今はこの道が独立して分岐している感じにカモフラージュされているが、元はこの外側にある防波堤に沿って道が走っていたはず。右側に見えるガードレールの外側の草むらは旧道の路盤で、その方が実に自然な道形だなどと考えながらくまなく観察していると、分岐する道の左側に素敵な標識が一本立っているような気がした。近づいて見てみよう。
「この先 通り抜けできません」
実に素敵な標識じゃないか(笑)。ところで道路と言うものは公共のものであり、それが何らかの理由で通り抜け出来ないのなら、道路管理者はその理由を明示して通行を規制するなり、通行止めとしなくてはならないのだが、この標識にはそれがない。しかも、ここに表示されている標識の図柄は「車両通行止め」なので、徒歩なら通行可ということになる(実際、通行は可能だったのだが)。…と、現地で一通りツッコミを入れたところで、バリケードを確認しよう。
バリケードを確認しに行く途中(分岐点からそんなに距離は離れていない)の右側に庭園らしきものがあり、そこに建てられていたのがこの案内板である。これを読むと、この地は遥か昔より港として機能していて、灯台沖一キロには自然港があり陸続きであったが椎谷地震(中越沖地震とは違う)で陥没とある。その港の宿場の跡が、この辺りのようだ。かなりの歴史がある地のようだ。
その案内板があった場所から旧道を望んだ景色が、これである。右手にはボートハウスがあり、パイロンなどがあって物々しい雰囲気になっているが、旧道は灯台側よりしっかりと封鎖されている雰囲気がありありだ。さっきまで私はあのバリケードの内側にいたわけだが、これで椎谷トンネル旧道は完抜したと言ってもいいかもしれない。このバリケードを見ていると、もしこちら側から旧道に入ることを考えたとき、多少の勇気が必要だったことだろう。今更だが、この旧道への最初のアプローチに灯台側を選んだことの幸運を喜んだ。
封鎖地点から分岐点側に振り返ってみる。右側には「津波ひなん場所」とあり、海面からかなりの高さがあるこの付近は、万が一の地震で津波が襲った際の避難場所でもあるようだ。実際、この場所で高さが足りなければ灯台側へ走れば更に高さを稼げるわけで、それを考えるとバリケードは無い方がいいんじゃないのかな?という気さえするのだが…。
ところで、この旧道が廃止される原因になった「斜面の大崩落」とはどこだったのか。旧道を通っているだけでは今一つその跡が判明せずに消化不良のままだったのだが、自宅に戻って改めて調べてみると、崩落したのは道路の山側の法面ではなく海側の崖の部分が崩落して、その結果旧道が危険な状態になったようである。この時の状態については航空写真を撮影する企業の株式会社オリス様のWEBに非常に鮮明な画像がアップされているので、リンクしておく(←ここからどうぞ)。
2007年(平成19年)7月16日に発生した地震で通行止めになったこの旧道は、その後交通が再開されることもなく椎谷岬トンネルに取って代わられて廃道となってしまうが、道路の用途廃止を行っていないため地図上には今も記載がある旧道である。その途中には上り坂の切り通しがあったり、峠のような急坂路があったり、非常に楽しめる旧道だった。幸いなことにこの旧道には、沿線に椎谷鼻灯台と香取神社、椎谷観音堂があったために、旧道の半分が現役の道として生き残ることが出来た幸運さもあるだろう。また、探索時にはあいにくの曇り空だったが…
晴れた日には、日本海に沈む美しい夕日がここからきっと見えるはず。
もう一度、今度は晴れた日に来てみよう。そう思って、この旧道を後にした。
一般国道352号
椎谷岬トンネル旧道
完結。