一般国道352号
椎谷岬トンネル旧道
第1部

2019年11月17日 探索・2019年12月2日 公開

この旧道が中越沖地震を受けてどうなっているのか。もしかすると斜面をトラバース(直訳すると、横切る、横断するという意味。山の斜面を登らずに山腹・斜面を横断する、または横に移動すること)しなきゃいけないかもしれないなどと考えつつ、逸る気持ちを抑えながら、先へ進んでいく。
なお、今回の探索は上記の理由から車が進入できる灯台の前に車を止めてベースとし、歩いて椎谷岬トンネルの柏崎側坑口まで戻り、そこから全て徒歩で行った。

この画像は、最初に紹介した椎谷岬トンネル旧道入口から、旧道方向を見たものだ。現役だったころの旧道へのアプローチはもう少し緩やかな道形となっていたと思うので、今の道形はトンネル開通時に改修されたものだろう。ここはまだ道路として通行可能なので、旧道がどんな感じで灯台までアプローチしていたのか辺りの状況を観察しながら進むことにする。…おや、左端に何か標識らしきものが。ここから見る限りでは、なんだか素敵な文言が書かれてるような気がする。早速確認してみよう。

うむ!いい標識だ!

たまらん!。こう書かれると俄然そそるじゃないか!(笑)
この道の背景を知っているだけに、先がどうなっているのか期待で胸がいっぱいだ。もし斜面が来たらトラバースするか、高巻きでかわすか。でも、トラバースするにしても斜面が急すぎるかなぁ…などと思いつつ、標識を眺める。いずれにしても、この旧道はそう簡単には通してくれなさそうだ。この区間は灯台前までは前述の理由で車で一旦通ってはいるのだが、車で通るのと歩いて通るのとでは見える景色も感じるものも大違いだ。周囲を丹念に観察しながら先に進む。

上の標識を一通り眺めて振り返り、旧道から椎谷岬トンネルの坑口を望む。旧道と新道の位置関係がわかると思う。トンネルは香取神社と椎谷観音堂が祭られている山の下を貫いている。対して旧道はかなりの急勾配で、岬の突端にある灯台に向かって一直線に向かっている。旧道がここまで標高を上げるということは下りもあるということで、坂の下の集落側へ下っていく道筋も急勾配で下っていることだろう。

ポツポツと歩いて坂道を上がっているが、案の定旧道は結構な急勾配で、最近は運動不足が続いたせいか、息が上がり気味になる。左側は日本海を望む展望台になっているようだ。先には三角屋根の建物が見えるが、さほど大きくはなく小さい建物だ。トイレか何かだろうか?。この景色を見る限りでは、この道の先が廃道になっているとはとても思えないほど、ごく普通の道路だったりするのだが…

三角屋根の建物は、やはりトイレだった。何か他の目的の建物かと期待してしまったが、これも必要な建物だろう。その脇から旧道の先を望むと右カーブで先へ進んでいて岬を回り込む線形を取っており、その道筋は遠慮なく急勾配でもある。ところでこれを書いていて思ったのだが、トンネルは「椎谷岬」、地形図は「観音岬」で、それぞれの名称が違っていてややこしい。なぜトンネルは椎谷岬と言う名前を採用したのだろうか?。

これはなかなかの切り通しじゃないか!。ここに来てテンションが上がる。この旧道が出来る前の山の稜線が、この景色を見ていると見えてくるような気がする。道が切り拓かれる前は、右から左へと素直になだらかな形で山の稜線が繋がっていたのだろう。路面の左右は草の侵食が(若干)あり、この道の現在の交通量の少なさを教えてくれているが、このくらいはまだまだ序の口。現役の道路と言ってもいいくらいの道だろう。消えかけた追い越し禁止の黄色いセンターラインが良い雰囲気だ。

振り返って、今まで通ってきた道を撮影してみた。急勾配の加減がおわかりいただけるだろうと思う。この道は国道になる前は新潟県の一般県道だったのだが、それにしても結構な急勾配だ。これでは、急勾配に道幅が狭く、交通のネックになっていたことだろう。ここから先に見える景色に煙突らしきものが3本ほど見えるが、これは世界最大の原子力発電所と言われる、東京電力柏崎刈羽原子力発電所である。

旧道を更に進む。左に見えるのは観音岬に立つ灯台、椎谷鼻灯台の管理所と思しき建物だ。灯台の付近は畑などが多く私有地で立ち入り禁止になっており、この建物ももしかすると民家かもしれない。後日、少し調べるとここにある灯台は2代目で、初代は中越沖地震で被災したため、2010年(平成22年)3月26日に新しい灯台が今の場所に竣功した。


さて、地図上ではこの先の椎谷鼻灯台の先から山側の等高線の間隔が極端に狭くなっているので、崩壊地点も近いことが予想される。おそらく、この坂を越えると封鎖区間が始まるだろう。その先にある崩壊地点がどうなっているのか。

それは予想外の状態だった。

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