新潟県主要地方道6号
山北朝日線
大俣橋・鍋割橋旧道 第3部

2022年3月22日 探索 2022年5月4日 公開

前回の地点から進まずに、視点を変えて川の方を眺めてみる。隣に流れるのは蒲萄川。この主要地方道6号の傍をつかず離れず共に進み、海沿いの集落の寒川(かんがわ)で日本海に注ぎ込む川である。探索当日はやや曇り空であったものの天候が荒れることはなく、蒲萄川の流れも雪解け水を集めて静かに日本海へ運ぶ、そんな穏やかな日だった。これがひとたび大雨になると水位が上がって、危険だっただろう。この旧道もやはり災害が原因で改良の対象になり、廃道になった道だったのだ。

この寒川と言う集落の名前の後ろに必ず括弧書きで読み方が書かれているのは、実は理由がある。神奈川県に同じ「寒川」と書いて「さむかわ」と読む地名があり、そこと混同を避けるためだ。余談だが、ここにはJR相模線の「寒川駅」があり、1984年(昭和59年)3月31日まではここから更に西寒川駅まで伸びる、西寒川支線と言う盲腸線が伸びていた。この西寒川駅の一面一線しかないホームに到着した、アイボリーとオレンジの国鉄色に塗られた気動車が写った映像を小さいころ何かの本で見たことがあり、寂しい名前の駅だなあと思ったことを覚えている。今でもその時の画像は思い出すことができるから、よほど強烈に何かを感じた画像だったのだろう。

蒲萄川に想いを馳せた後は、私が今進んでいる道に戻ろう。目の前の道は雪解けの水で泥濘んでいて、普通ならなかなか進めそうにないが今は違う。何よりも勇気百倍のアイテム「長靴」を私は身に着けている。遠慮なく進んでいこう(笑)。
右側の路肩に見えるデリニエータが往時の道幅を教えてくれているが、それより少し先では路肩が少し崩落しているかに見える。おそらくは蒲萄川の侵食ではなく道自体の崩落だろうが・・・雪で路肩がよく見えない。気を付けなくてはいけない。

おおっ!崩れてるなぁ!

先ほどより少し進んで撮影したのがこの画像だ。路肩の崩落はやはり川の侵食ではなく、路面自体の原因で崩れているように見える。山側に強固な擁壁が築かれているが、その擁壁に関係なく道幅は狭くなっている。今までは対面通行ができる幅だったが、ここは一車線で交互通行と言えばわかりやすいだろうか。一生懸命に道路を守ろうとしていたが管理が追い付かず、やむなく改良せざるを得なくなった。この風景を見ていると、そんな気がする。

いやー、せめーな!

少し先へ進んでみると、雪が残っている路面の先の路肩に、黄色い表示板が右側の路肩に見える。
まぁこの路面の姿を見れば表示板の内容は何となくわかるような気がしなくもないが・・・。
それにしても、右側に築かれた擁壁はどうだ。コンクリート部分はなかなか年季が入っているように見えるものの、その上に載っている金網の部分はそんなに旧くないように見える。更新後、間もなくして改良されて切り替わったのだろうか。そう言えば、この旧道の入口の様子から見ても現道が開通してもしばらくの間、旧道は通行可能だった。この道は廃道にするには惜しい。そんな気がする。

擁壁を眺めてみる。この主要地方道を守るためだけに施工された強固な擁壁は、守るべき道が旧道や廃道と化しても、その与えられた天命を全うすべく存在し続けている。この強固な擁壁の分だけ道幅が狭くなっているし、その上に厳としてそびえたつ、鉄骨で造られた強固な金網。

「何が何でもこの道を守る」

その気概がひしひしと伝わってくる二つの道路構造物の光景に圧倒されて、暫く立ち尽くしてしまった。その気概を体験して感じた私は、伝えなくてはならない。純粋にそう思った。

いくつものこの旧道の画像に控えめながら写り込んでいた、傾いた黄色い表示板。何となく想像は付いていたものの、近づいて見るとやっぱり納得の内容だった。その内容は「路肩注意」。「やっぱりか!」と思いながらも、予想していた内容に何となく嬉しい自分がいた(笑)。その手前に存在する、表示板と同じ角度で傾いたデリニエータもいい感じじゃないか!。

・・・しかし路面に雪が積もっている今の状態では足元がどうなっているかわからず危険で、迂闊に近づくことは出来ない。ここはしれっと通過しつつ、横目で観察していくことにしよう。

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