新潟県一般県道393号
礼拝長岡線
沖見峠トンネル旧道
第9部

2020年5月23日 探索・2020年8月14日 公開

道標を確認するより前に、隣の白い標柱を確認してみる。「左 旧長岡街道沖見峠へ」とあるので、ここは左が長岡街道、右が青い表示板にもあるように献上場に向かう道だ。そして、それが沖見峠トンネルの旧道と言うことになるので、私は右へ向かう。左へは…後日にしよう。そして、この道標も文字は読みにくかったがなんとか読み取ることが出来た。この道標の石の材質はおそらく砂岩で、非常に貫禄あるものだったのが印象に残っている。

道標から右へ向かうと、これまでよりは少し頼りなくなった道が、献上場とその先にある沖見峠へ向かう。今は緑鮮やかな新緑に囲まれた非常に素敵な道だが、これが冬になると雪に埋もれてしまって、除雪するだけでも大変な道になったはず。山側の長岡から海側の柏崎へ抜ける道としても重要だったこの道は、トンネルを掘削してでも開通させる必要があったのだろう。そして、新道が開通した今も、旧道は地元の方々の手で今もしっかりと守られている。これは道を趣味にする者として、非常に嬉しいことだ。

先へ進むと、旧道から右側へ上がる脇道があった。この脇道はその上の台地にある畑に上がる農道だったのだが、その途中の道端に石仏を見つけた。位置的にも、この農道のみならず旧道も見つめる位置に安置されていて、ふと思った。この石仏はどれだけの旅人を見てきたのだろうか。
私はその辺に詳しくはないが、この石仏は畏怖するものであり敬意をもって接する対象であることは、これまでの経験上わかる。自転車に跨って走行している途中だったが、これまでの探索の無事の御礼と、この先の無事を祈って深々と首を下げた。

整備された道と言う印象を受ける旧道。快適すぎて、旧道を通っているという感覚がやや薄れつつあるような感覚だ。だが、ここは沖見峠トンネルの旧道として意識して見るようにすると、それなりの緩やかな道が峠を目指して進んでいるような印象を受ける。献上場から先の道を思い返すと、車道(馬車や牛車が通った道)とは思えない急な坂やつづら折りがあったりするのだが。

谷間状になった地形の隙間を縫うように走る道と、そこに広がる稲を植える前の水田と、それを見守るかのように日差しを降り注がせる青空。「これぞ日本の…」と言う気は毛頭ないし、私もこういうところで過ごした経験はないのだが、それでも何となく懐かしさを感じるのは気のせいか。こういった風景は、失われてほしくないと思う。自転車を止めて、少しの間見入ってしまった。

進んでいくと、左側に木が密集していて道全体が日陰になっているところがあった。峠を下って妙法寺集落を通ってここに来るまで、そういえば休憩をしてなかった。ちょうど日陰でもあることだし、ここで休憩。
機材が入っているリュックを下ろして道端に座って、すっかり常温になってしまったペットボトルのお茶を飲むと、生き返る気分になるのはなぜだろう。ここまで登ってきて火照った身体を爽やかな風が冷まし、青空と緑と、時折聞こえる野鳥の囀りが自身を包むと、非常に心地いい。

自転車のギアを少し落として、緩やかに坂になっている道を上がっていくと杉林の中を進む場所に出る。ここまで来ると献上場はもうすぐのはずで、今から1時間半ほど前に出発した献上場の駐車場が見えてくるはずだ。
妙法寺の集落からここまでは車で一回通っているはずだが、やはり自転車と車では景色の見え方が違っているのは言うまでもない。身体も疲れるし汗もかいたが、やはり自転車の方が楽しめる。

杉林を抜けて、道の周りに生えている木々が雑木に変わってくると、ゴールはもうすぐ。
先の方に見える左カーブを曲がれば、待っている車の姿が見えるだろう。今はちょうど14時。ここを出発したのが12時40分頃なので1時間半強の探索だったが、今回も楽しかった(笑)。
その間に日差しも強くなって気温も上がってきた。着替えを持ってきているので、さっぱりすることにしよう。


さて、あとは戻って机上調査だ。
この沖見峠は今の国道8号が通っている曾地峠とも関係しているから、なかなか深くなってしまう可能性があるのが少し怖いが…(汗)。帰りに図書館に寄って帰ろうか。

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