新潟県一般県道393号
礼拝長岡線
沖見峠トンネル旧道
第1部

2020年5月23日 探索・2020年7月13日 公開

時間は12時30分過ぎ。太陽が南中してこれから一番気温が上がろうかと言う時間帯。
この日私は車の後ろに自転車を積んで、今日の中継地となる場所にやってきた。その場所は、献上場(おんじょうば)と呼ばれる、その昔に燃土や燃水を採取して献上していたという、由緒ある場所だ。
探索を始めるにあたってベースとなる場所が探索対象の途中にあるという、いささか変則的なスタートになったが、近くに車を長い時間止めておけるであろう場所がないので、こうなった次第だ。

左側からこちらに上がってくる道が旧道で、右側にチラッと見えている舗装されている広場らしき場所が献上場の駐車場になる。今日は梅雨前の五月晴れの一日。気温もこれから上がりそうで、暑い一日になりそうだ。それじゃ、準備を整えて探索に向かうとしようか。
この画像を見て頂くとこの先の道の様子がわかって頂けると思うが、道幅はかなり狭いようだ。



これが今回の探索の起点となる「献上場」だ。この駐車場に車を止めて探索に向かう。最初の地図を見て頂くとわかるが、どうも私が探索するときには目的地より遠い入口から向かってしまうのが自然になっているようだ。今回は妙法寺側から目的地に向かったが、今回もご多分に漏れずなぜか目的地より遠い方から探索を始めてしまった。チェンジ後の画像は献上場の手前に設置されている説明板で、この献上場のことが事細かに書いてある。それによると、非常に歴史が深い場所であるようだ。



献上場のそばには休憩所があって、休憩することが出来るようになっている。この付近は西山鉱山として石油が産出されていた場所でもあり、ここで採取されていた燃土や燃水は原油だったと思われる。それだからか、辺りには油の匂いが充満していたし、非常に森が深くて「こんな場所で原油を採掘していたのか」と思うと、東山鉱山の時もそうだが頭が下がる。この西山鉱山や東山鉱山が日本の石油業の基礎となっていることを考えると、非常に感慨深い。
さて、それでは探索を始めよう。

ベースとなっている駐車場まで来る道の先に続く道は、こんなにも細い。これが沖見峠へ向かう県道393号の旧道だ。これまでの道とは違って、やや頼りない舗装された道が、まさしく「ヒョロヒョロ」と山の緑の先へ突っ込んで行く。これは結構楽しめそうだ。車から降ろした自転車に颯爽と(←ウソつけ)跨って、さぁ行ってみよう!。

入った途端に路肩の草が路面に張り出してくる、旧道や廃道ならではの状況になる。なるほど、この道幅では確かに狭い。明治天皇の行幸の際に道幅が狭すぎて隣の曾地峠が選ばれたのも、なんとなく頷ける。歴史ある街道なんだけどなぁ。
でも、よく見ると路肩はちゃんとコンクリートで補強しているところなんかもあったりして、県道と言う名目はちゃんと保っていたみたいだ。

うん、いい!

アスファルトの切れ目から草が伸びてきている。しかも、路面はこの狭さ!。青空の先へ走っていく狭い道は、昔の交通の風景を教えてくれるようで、非常に感慨深かった。だが、路面の左右は草の侵食があったりして、旧道の雰囲気満載の道だ。ここはしっかり楽しまないといけない。何かネタはないか、辺りに注意を払いながら上がっていく。

先に進むと、見晴らしのいい場所に出た。だがそれもそのはず、路肩にはガードレールも何もなく、切り立った崖がそこに待っている。そこにあるのはデリネータが一本立っているだけ。ガードレールを設置すると道幅が狭くなるのはわかるが、もう少しなんとかならないもんだろうかって気がする。

先へ進むと、旧道はこのように森の中に突っ込んで行く。路面の勾配といい雰囲気といい、この先に隧道があってもいいくらいの雰囲気なのだが、そう考えてハタと足が止まった。隧道があるにしては、その先にあるはずの山に突っ込んで行く感じが全くないじゃないか。う~みゅ…ま、先に進めばわかることだ。ところで、ここまで来ると勾配が急なので、自転車には乗らずにほとんど押して歩いている。おかげでのんびりと周りの風景を楽しみながら行けるのだが、先ほどの場所からさほど先へ進んでなかったりする。

おぉ~いいねぇ!

木立の中を進む、道幅が狭くて頼りない県道。こういう道も実は大好物の一つである。そもそも、献上場から沖見峠まではさほど離れていないはずで、この画像にも見えている「あの先の左カーブを曲がれば峠か?」などと言う妄想を掻き立ててくれる。
でも、実際にもそんなに遠くなくて、間もなく峠のはずだ。自転車は押して進んでいるが、それでもかなりの急勾配。息が上がらないようにのんびりと進んでいこう。

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