山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 笹根隧道
第3部 「彫り込まれた名前」
2023年10月14日 探索 2024年4月11日 公開
彫り込まれた名前
反対側の坑口に移動を始める前に、これだけは見ておかなきゃね。ということで、金網の隙間から撮影した現在の笹根隧道の内部である。隧道内部はコンクリートで巻き立てがなされており、ここから見える範囲ではあるが水の染み出しなどもなく、非常に安定した隧道と言う印象を受けた。ただ、撮影日は晴れていたにも関わらず路面は濡れていたので、やはり多少は水がどこからか染み出しているものと思う。前方には光が見えることから貫通していて、その形が隧道断面を半分に切ったような形をしていることから、この隧道も坑道は荒沢隧道と同じく拝み勾配であることがわかる。
だが、隧道内は歩道が取れるようなスペースもなく、道幅は非常に狭い。その広さはトラック1台分がやっとで、歩行者が歩いていたりしたら非常に危険だ。こんなところも現道に改良された理由の一つだろう。
さて、それでは戻って反対側の坑口を目指すことにしようか(画像では既に戻る道中で、これは不思議な穴の近くだ)。
「道は反対側から見ると全く違う風景を見せてくれる」。これは私の持論だが、ここでも行き帰りで全く違う風景を見せてくれた。右側に見える、自然そのままの山の斜面の美しさ、左側の沢に落ち込む崖の様子。そこに通る一本の道筋。今では使われていない、廃道ならではの美しさがある。そしてその前方には、もう二度と点灯することはない道路情報電光表示板。こんな現代の機械も、ひとたびその役割を終えれば廃道を彩るアクセサリーのような存在になってしまうところが、廃道の魅力の一つでもあったりするのだ。
などと、立ち止まってあれこれ想いを巡らせていると左側に…
「おい、オレのことも気づいてくれよ」などと言わんばかりに立っていたのが、このお方。そう、毎度おなじみデリニエータ。探索では、これが路肩に草に埋もれながらも立っていると、勇気百倍アンパンマン的な存在である。
探索を行っていて「ホントにここが目的の道なんだろうか」などと思ったりしているときに颯爽と(笑)現れて、自らの身体に表示された管理者の名前で探索者を落ち着かせてくれる、なかなかに心憎いヤツだ。
デリニエータのことを持ち上げるのはこのくらいにして(笑)、本体を確認してみると、そこには「山形県」の文字が。ここは一般県道なので道路管理者は山形県であっているが、文字が彫り込まれているのには少々驚いた。こんな風に管理者名が彫り込まれているものは、ほとんど見たことがない気がする。
ちなみに新潟県では、この管理者名がステッカーになっているものが多い気がする。そこには「新潟県」であったり「国土交通省」であったりするのだが、経年劣化と共に黒で表示された管理者名が色あせてきてしまい、廃道などに立っているデリニエータの場合は真っ白になってしまっている場合がほとんどだったりするのだ。探索中の私は、そのほとんど白くなったステッカーから辛うじて管理者名の文字を読み取ることが多い。そういった意味でも、この彫り込まれた文字は非常にいいと思う。
道路情報電光表示板の近くまでやってきた。こうしてみると、やはりこの表示板はこの前方にある荒沢隧道と、その手前のシェッドを含めた情報をここに表示していたようだ。これに対して門型柱は笹根隧道に向かう車に対して表示していたものらしい。
…う~ん、なんか違うな。この電光表示板は荒沢隧道ではなく、現道の笹根トンネル坑口前にある橋に向かう道形が急カーブになるので、そのために設置されたものか。実は、現道の荒沢トンネルが開通したあと、次の笹根トンネルが開通するまでには多少のブランクがあり、その間は荒沢トンネルを出て河倉沢橋を渡ったところで、急カーブで笹根隧道に向かっていたようなのだ(その地点がこの画像)。
とすると、この門型柱は笹根隧道に入っていく車に対しての高さ規制を表したもので、電光表示板は急カーブで見通しが悪いために設置されたものと考えられる。また、公道である以上、これらのことを知らせるために当然「高さ制限」や「幅員制限」、「左(右)屈曲あり」などの標識が設置されていたはずだが、今では1枚も見当たらない。門型柱とか道路情報電光表示板とか、こういったものはいつまでも残すくせに、標識類はさっさと撤去しちゃうんだよね。規制標識の類はともかく、県道標識(俗に言う「ヘキサ」)の一枚くらい残しといてくれてもいいのに…といつも思ってしまうのは、勝手と言うもんだろうか(笑)。
さて、場所はここから一気に笹根隧道の反対側の坑口に飛ぶ。
え?。なぜそんなに飛ぶのかって?。それはね、途中に見どころがないからだよ(笑)
てことで、笹根隧道の反対側の坑口前にやってきた。辺りは開けていて、ちょっとした広場になっているようにも見える。隧道の坑口は、こちら側もしっかりと金網で塞いであって坑道内に入ることは出来ない。
現道当時は隧道の上部も草刈りがなされたりして、綺麗だったんだろうなぁ。今ではその当時の姿は見る影もなく、荒れてしまっているのが多少寂しいが…廃道になってしまっている以上、こうなっても仕方ないだろう。
こちら側も、坑門の周囲(ポータル)はコンクリで施工されている。すっかりツタの類で覆われてしまった感がある右側の翼壁(ウイング)だが、玉石積みかどうかは確認できなかった。だが、隧道全体の雰囲気に対して、その坑門の施工に若干の時間のズレのようなものを、こちら側でも感じることが出来た。あと、隧道上の土被りが妙に少ないことも気になる。この辺も、あの「掘り損ねた穴」(間違えた穴、とも言う)に何か関係があるのだろうか(もしかして、本当はもっと長かった予定だったりして)。
向こう側から見たんだから、こちら側からも見てみようという訳で、フェンスの隙間から内部を撮影してみる。こちら側の方が坑口の周囲が開けている分、坑道に多くの光が差し込んで、内部の状態が確認しやすい。こちら側も多少の水漏れはあるものの、全体としては非常に良好な状態で遺されていると言える。ちゃんとコンクリで巻き立てもされているし、今でもちょっと手を入れれば十分に歩行者用としてでも使用できそう。
向こう側の坑口の明りが小さく見えるが、これはこの隧道が拝み勾配で、その頂上がこちら側寄りにあるために向こう側の坑口が小さく見える、という訳だ。
さて、次からは隧道の周囲を詳しく眺めて
現道までの道程を辿っていくことにしましょう