山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 笹根隧道
第2部 「通せん坊の隧道」
2023年10月14日 探索 2024年4月7日 公開
通せん坊の隧道
視界の先に見える、白いガードレールがちゃんと見える場所にやってきた。
思った通り、白いガードレールは道幅全体を通行止めにするべく、その身体全身で道を通せんぼしている。そして、その先には…!
笹根隧道だ!
森の中に佇む、雰囲気満点のいい隧道じゃないか!。隧道と、その周囲の森の雰囲気、ところどころに見える木漏れ日、路面には「適度な」下草、そしてこれまた適度に年月を重ねてきたであろうコンクリートの坑門。それはまるで一服の絵のような雰囲気の風景で、実に美しい風景がそこにあった。そして何故か坑門の付近が妙に広々としていて、およそこの道に相応しくない広場がそこにある。もしかして、この辺りに現道の笹根トンネルの現地工事事務所でも置かれていたのだろうか。付近をウロウロしてみたが、その痕跡は残念ながら見当たらなかった。
ふと路肩に目をやると、工事でこんな姿になったのか、それとも度重なる積雪でこんな姿になってしまったのか(たぶん後者だろうとは思うが)、ひしゃげてしまった路肩防護施設であるガードパイプの姿があった。その先は深い谷、ここから柵を越えて先に行ってしまえば、深い谷めがけて真っ逆さまになってしまう。
万が一の時のために、必死になって路肩を護ってきたガードレールも、偉大な自然の雪の強大な力には敵わないということか。
ご対面~
いよいよ隧道とご対面だ。…のは良いが、ここも隧道の坑口が見事なまでに金網で塞がれてしまっている。これは通れそうにないなぁ…そう思いながら金網の隙間から坑内を覗くと、隧道の中心付近に反対側の坑口の明かりが見える。その坑口の明かりの形を見ると平たくなっていて、その形からこの隧道は拝み勾配(中央が高く、両方の坑口側が低くなっている)の隧道だったことがわかった。
どう見ても通り抜けることは出来なさそうだ。せめてもの抵抗ではないが、この隧道の姿をしっかりと目に焼き付けてやろうか。
まずは扁額を確認しよう。コンクリート製のポータル(坑口の構造を総称してポータルと言う)の一番上に飾られている、その隧道名が記されている扁額。荒沢隧道にはなかった扁額が、この笹根隧道にはしっかりとはめ込まれていた。
見上げてみると、今の建造物にありがちなフォントによる記述ではなくて、手書きの文字による扁額が「どうだ、手書きの文字だぞ、このやろう」と言わんばかりに自信ありげに掲げられている。その扁額が、無機質な印象を与えてしまうコンクリート製ポータルのすばらしいアクセントになっていた。
隧道の坑口左側の翼壁(ウイング)には、荒沢隧道に見られた玉石積みの擁壁の姿が見える。改めて俯瞰的にこの隧道の坑口全体を眺めてみると、この石垣と隧道のポータルの時間的なつながりがないように思う。我ながら回りくどい言い方をしているので手っ取り早く言うと、隧道のウイングが造られたであろう想定する年代に比べて、ポータルの年代がが新しすぎるのだ。そのために、なんだか違和感を感じてしまう。もしかして、この隧道のポータルは後世に補修されたものかもしれない。そんな気がしてきた。あとで、金網の隙間にカメラのレンズを当てて、中を覗き込んでみようか。
こちらは坑口右側の翼壁(ウイング)。左のウイングと同じように玉石積みになっているのが心憎い。この翼壁の玉石積みを見て、さっきも「ポータルだけ後世に補修されたんではないか?」と思ったが、そうなるとこの笹根隧道も補修前は荒沢隧道と同じく、ポータルが玉石積みで造られていたんではないか?、などと言う推測を立ててしまった。
ところで、山側に接している左側のウイングに比べて、川側に接している右側のウイングは明るい印象を受ける。我々人間でも右側と左側の顔が違うように、隧道も右と左で顔が違うように造られているのかもしれない。…そんなことはないか(笑)。
さて、隧道に辿り着いたのはいいものの、御覧の通りフェンスが張られていて入ることは出来ない。となると、反対側の坑口に行くしかないなぁ。
次回は反対側の坑口に向かうところから始まる。行ってみよう!