一般国道7号旧道
勝木峠 第6部
(完結編)

2019年1月14日 探索・2019年3月1日 公開

ここからは勝木峠の調査編である。
この勝木峠を調べていくと、その過程でどうしても海側の大崎山越えの旧街道に触れないといけない。そうしないと、話が薄っぺらなものになってしまうのである。
そこでこの調査編では、大崎山の旧街道や、大崎山・岬・間の内の3本の隧道にも触れながら勝木峠を調べていきたいと思う。


さて、第1部の冒頭でも少し述べたが、明治26年に開通したこの道は、それまで徒歩道で荷車が通ることが出来なかった旧街道のネックを解消するために「新潟県三等県道鼠が関線」として作られた明治車道である。

ここでの旧街道とは、今の国道7号が通っている府屋第一トンネル・府屋第二トンネルが通っている外側に今でも残る、1966年(昭和41年)に改良工事が完了して開通した国道7号旧道の大崎山隧道の上を通っていた最初の道を指す。
この国道7号旧道の大崎山隧道は今でも残っており、竣功年月日は手元の資料「道路概要1964」では昭和30年、全国隧道リストによれば昭和40年とある。この間10年の開きがあるのは非常に不自然。実際の竣功はいつなのかと言うことで、まずは実際の大崎山隧道の画像を見てみよう。

これが実際の大崎山隧道である。左右の擁壁の雰囲気は非常によく、私の好みにドンピシャ(笑)。だが、一級国道の道幅としてはやや狭い感じがする。もう少し近づいてみよう。

昭和30年竣功とあるが…どことなく妙なスペースがあるのは気のせいか。これはあくまで想像だが、この隧道が完成したのは30年代なのではないか。後で文字を掘るつもりで先に埋め込んだが、結局文字が掘られないまま現在に至る…。この隧道は「道路概要1964」では、開通時の所属は「新潟県道村上温海線」と記載がある。この後、国道7号に移管が決まって改良が行われて…

この銘板が埋め込まれて、国道7号の所属になったのだろう。だが、この大崎山隧道の規格は元々は県道の規格として造られたため、幅員5.5mの狭さで造られた。このため国道になって増大した交通量に対応できず、隣の山側に府屋第一トンネルと府屋第二トンネルを新たに掘ることになったのだろう。この二本のトンネルは1978年(昭和58年)に開通して新たに国道7号となり、大崎山隧道はこの後も旧道として通行が可能だったが、2012年(平成24年)に通行止めとなり現在に至る。
ここでもう一度、最初の画像を見てみよう。

この大崎山隧道の上の山中に旧街道がある。この画像をよ~く見ると、旧街道かどうかはわからないが坑門の右上辺りに左に向かって上がっていく平地のような箇所が見える。隧道が貫いているこの山は「大崎山」と言われ、峠部には切通しと祠があるそうな。
だが、この大崎山を越える旧街道は徒歩道で、荷馬車などの車が通れなかった。そこで山側に500mほど入ったところに、勝木と府屋の集落を直接結ぶ道として1893年(明治26年)に開通したのが、我らが勝木峠である。

この勝木峠は海岸沿いにある「碁石」と「間の内」の集落を通らずに、勝木と府屋を直接結んでいたため、この二つの集落を通る勝木から府屋の海岸沿いの道は、幅1m未満の小径として1934年(昭和9年)の地図に描かれている。
ここでふと思ったが、第2部で勝木峠の旧国道7号が碁石川を渡る際、川に沿って碁石集落へ下っていく道を覚えておられるだろうか。あの道の幅と雰囲気が、この辺の道の雰囲気を最もよく残しているのではないかと思う。

川沿いに沿って進む、この狭い道。なるほど、道幅は1mくらいしかなかった。もしかすると、海沿いの道も、大崎山の峠を越す道も、これくらいの幅しかなかったのかも知れない。

勝木峠は1893年(明治26年)に新潟県三等県道村上鼠が関線として開通したのち、1920年(大正9年)に旧制国道10号に指定、更に1952年(昭和27年)には一級国道7号として指定された。この間、大崎山を経由する旧街道は徒歩道だったが、この道は少なくとも昭和40年までに改良されて、大崎山隧道、岬隧道、間の内隧道が掘られ、新潟県道村上温海線に指定される。

一級国道7号勝木峠は、北陸と東北を結ぶ幹線道路として大活躍。明治車道ならではの、山中を通っているにも関わらず隧道が一本もないと言う、まさに荷車が通るのに最適な勾配で造られた峠道だった。しかし近代になると自動車が発達し、勝木峠はその道幅の狭さから次第に交通のネックとなり始めて、路線改良を受けることになる。そして1966年(昭和41年)の路線改良竣功で一級国道7号は海側の大崎山経由の道に戻り、新潟県道村上温海線の所属だった三本の隧道(大崎山、岬、間の内)は国道7号に編入。勝木峠は開通より72年で、その任を解かれることになる。

ちなみに、この時国道に編入された大崎山・岬・間の内の3本を通る道は、以前にも書いたが最初が県道で造られているため幅が狭く、「やっぱせめーじゃん」となったかどうかは知らないが、やはりここもすぐに交通のネックとなってしまう。ということで、現在の府屋第一トンネルが1979年(昭和54年)、府屋第二トンネルが1977年(昭和52年)に完成となるやいなや、国道7号はまたまたこちらにお引越しとなり、大崎山・岬・間の内の三兄弟の隧道は国道の任を解かれ、旧道として今も静かに余生を過ごしている。…蒲萄峠や大毎峠だけでは飽き足らず、こんなにあちこちに旧道を残すとは、全く罪作りなヤツだ、国道7号(笑)

現在の国道7号の山側で、今はひっそりと余生を過ごす
明治生まれの古豪の峠は…

一般国道7号旧道 勝木峠

完結。