一般国道7号旧道
勝木峠 第2部

2019年1月14日 探索・2019年1月30日 公開

名もなき小さい峠を越えて、道は下りになる。
峠でお茶を飲んで少し休憩したことで体力も回復したが、甘いものがあると糖分が補給されるので更に回復する。峠の茶屋がある理由はこういうことなんだなと、ふと思った。今は団子が欲しいところだが、あいにくないので我慢して(笑)、元気に碁石川を目指そう。

小さい峠を越えて、振り返って撮影してみた。
森林の中を通る旧道と言うのは、いつ見てもいいものである。真っすぐに立っている杉の木と、切通しの斜面の対比が美しい。馬が引く荷馬車も、ここを通ったことだろう。往時の風景が偲ばれる。

先に進むと、こんな場所に出た。左側の杉林と右側の斜面、それに伴って大きくひらけた明るい空が眩しい。こんな美しいところをバスは通っていた。車窓の景色を想像すると、なんだか羨ましい気もする。走る速度も、現在のバスよりはゆっくりだっただろう。道幅は二間半よりは少し広いかと思うが、それでも現在の道からするとやはり狭い。バスのひょっこりは避けたいところである。

路肩に少しだが雪が残る場所を過ぎると、先に何かある。近づいて見ると「落石注意」とあり、その横に「村上市」の文字。やはりここは村上市管理の道路だった。となると、ここは市道だろうか。それならば、せっかくだから警戒標識の「落石注意」が欲しかった!。それが旧制道路標識なら、喜び過ぎて歓喜の声が山に響き渡るところだったが(笑)

さっきから道が平坦なように見えるが、実は少しづつ下っている。ここはその中でも印象的な左カーブ。そのカーブの外側になる山側には、非常に美しい石垣が組まれていた。やはり峠道には石垣がよく似合う。この付近は山側も谷側も杉の植林がされておらず、おそらく勝木峠開通当時の風景を一番色濃く残した区間かも知れない。この勾配の緩やかさと道幅やカーブの雰囲気などは、明治車道ならではのものである。

辺りの景色を確かめつつ雰囲気を味わいながら下ってくると、川に出た。おそらくこれが碁石川だろう。手元の地形図と合わせても、位置的に符合している。事前に調べようとしたグーグルマップでは道形が途切れて、今でも通行できるかどうか不安になった場所でもある。地形図を見てみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)を使用したものである。

今いる場所を地図で見ると、ヒョロヒョロと山中を走る旧道が碁石川を渡るところで、ここは変則十字路になっている。旧道は勝木側から来ると回り込むようにして碁石川を渡るが、ここから右に行く道は碁石川に沿いながら山中に入っていき、やがて行き止まりになる。左に進む道は碁石川に沿いながら下り、現道の国道7号を横切って、最終的に碁石集落に行きつく道である。

この画像で、私は右隅にいる。ここから見ると、碁石川に沿って遡る道が右奥に真っすぐ進む道、碁石集落へ下る道が左下方へ降りていく道だ。そして、橋を渡って水平に近い形で緩やかに上る道が勝木峠の明治車道なんだが、この左下方へ降りる碁石集落へ下る道の川岸に組まれた石垣が…

ん~!いいじゃないか!

橋の下に見える橋台の石垣は近代の物だろうが、それに続く石垣はおそらくこの道の開通当時からあるものと思われる。苔の生え方や道の雰囲気など非常に良い感じの石垣で、積み方を見ると大小様々の石が見事に組まれている。野面(のづら)積みと呼ばれる乱積みの一種だろうか。このようにコソッと残っている重みのある石垣も、私の大好物だったりする。こんな調子であちこちを観察しているものだから、探索に時間がかかって仕方ないのだが。

この道、いいねぇ!

この道は碁石川に沿って下っている碁石の集落へ向う道だが、このひょろひょろとした細さがそそられる!(笑)
そしておそらくこの道は車が通れない。その証拠に、車が通る道にあるダブルトラックがない。碁石川の擁壁にある石垣といい、この道は春になったらのんびりと歩いてみたい道である。

右側に見える道は碁石川に沿って遡り、やがて行き止まりになる道である。手前側が橋のある交差点で、交差点側から撮影した。雰囲気的には林道だろうか。碁石川も、川と言うよりは沢と言う感じで、先ほどの乱積みの石垣以外は護岸工事などは一切されておらず、昔の川の風景をそのまま残している。釣り糸を垂れてみたくなる雰囲気の、良い川である。
荷馬車を引く馬もここで小休止。峠を越えて乾いた喉を、碁石川のこのきれいな水で潤したのかもしれない。

橋の袂から旧道を見てみる。やや上り調子の広い道が旧道である。橋の付近をくまなく探してみたが、橋の名前や竣功年月日に関する銘板は見当たらなかった。
地図で見ると、勝木峠の半分弱は来ただろうか。それでは橋を渡って、府屋の集落を目指そう。

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