一般国道7号旧道
勝木峠

2019年1月14日 探索・2019年1月23日 公開

先日公開した「羽越本線旧線 岬峠隧道・一般国道7号旧道 岬隧道」の調査中に、ふと気づいた事柄があった。それは、岬隧道の竣功時の路線名は「新潟県道村上温海線」だったと言うこと。この「新潟県道村上温海線」の名前は、現在の国道345号が国道として認定される前の、新潟県の一般県道だった時代の名称だ。しかし隧道に埋め込まれた銘板には、しっかりと「一般国道7号」と表示してあるのだ。
一見すると、これだけでは何もおかしいことはないように思える。国道7号になってから銘板が埋め込まれたんだろう、と。しかし、私の中で何かが引っ掛かった。

岬隧道の竣功は1957年(昭和32年)と、お馴染みの「道路概要1964」に記載があるので、この資料の今までの正確性から言っても、おそらくこの日付に間違いはないだろう。つまり、少なくともこの日付まで岬隧道は「新潟県道村上温海線」の所属だったのだ。しかし、この勝木周辺の区間は現在は国道7号と国道345号の二重戸籍区間になっている。岬隧道が「新潟県道村上温海線」として竣功したなら、その当時の国道7号は今とは違う場所を通っていたことになる。
じゃ、いったいどこを通ってたんだ?と言う、素朴な疑問が湧きあがった。
こういう旧道の位置を辿る時に一番手っ取り早いのは、地形図を確認すること。と言うことで、まずは現在の地形図を見てみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)を使用したものである。

ふ~む…当たり前の話だが、今の道路線形と同じである。これの旧道と言うことになると…おや?。
現道の右側の山中をヒョロヒョロと走る細~い道は何だろう?。

碁石川を越えて大久保山の頂上付近を越えて、間ノ内川を再度超えて府屋の集落に入っていく、等高線をトレースしながら川を二つも超えるこの道…この地図が正しいなら、この道のクネクネした曲がり方や等高線の越え方は明治新道のそれである。もしそうなら、非常に素敵な道ではないか。この道は非常に期待できるかも?。早速、旧版地図を確認してみよう。

この地図は 大正2年測図 昭和9年修正測図 5万分の1地形図 勝木 を使用したものである

やっぱりそうだ。今の地図にある、あのヒョロヒョロ道が昔は国道7号だった!。
この頃の国道7号は勝木の集落を過ぎるとすぐに山側に進路を変えて、府屋の集落へ向かっている。また国道345号も現在の道筋とは違っていて、村上から海沿いを通って来た345号は寝屋集落を過ぎると、まるで等高線をトレースするかのように一旦山側に入り込んで勝木駅前に出て、そこからは羽越本線沿いにまた海側へ出て碁石集落を過ぎ、今度は羽越本線と山の間の狭いところを細々と通って、間の内集落へ向かっている。この上の地図を見てみよう。

この地図は 大正2年測図 昭和9年修正測図 5万分の1地形図 温海 を使用したものである。

やはりここでも345号は海側を細々と通り、府屋集落の手前で峠を越えてきた国道7号と合流している。そしてこの峠道のこの道形は、おそらく明治新道の車道!。
「明治新道」と言うキーワードに触れて、この道に会いたくなった。
だが、この道の名前はなんと言うのだろう?。この道の事を検索しても、ほとんど出てこない。しかし通称名として、どうやら「勝木峠」と言う名称があると言うことで、この名前に倣うことにした。あくまで通称名であるし、正式な名称でないことを承知頂きたい。

2019年1月。普段なら冬本番の時期であり、探索するには何かと制限がある時期なのだが、今年は雪が少なく、積雪も山沿いを除いてほとんどない状態。だが、こんな状況の中でも、この道は通行可能だろうか?。
真冬本番の時期でありながら、私は現地に向かった。

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