一般国道7号
明月橋旧橋 第3部
2020年1月26日 探索 2020年2月16日 公開
エフロレッセンス
前回で橋の下を流れる川岸に降りて明月橋を下から眺めた私は、橋の下を潜って同じ岸の反対側に出て来てみた。日光の加減で、こちら側から見た方が若干明るく見えるものの、橋が傷んでいる様子は相変わらずで、この傷み具合は雪の影響も大きいだろう。橋脚や橋桁のコンクリートからは白いものが流れたように、あちこちに付着しているのが見える。一見すると鳥のフンが流れたように見えるが、これはコンクリート鍾乳石と言われるものだ。コンクリート中のセメントに含まれる石灰分が原因で起こるもので、白華現象(はっかげんしょう=エフロレッセンス)と呼ばれる現象の一種である。
鍾乳石と聞くと、観光地の洞窟の天井から垂れ下がっている光景が思い浮かべられるが、その成長スピードは非常に遅いことをご存知の方も多いだろう。これは地下水に含まれるわずかな石灰分などを元に成長するからだが、コンクリート鍾乳石の場合は天然の洞窟環境で作られるよりも非常に早い。
白華現象(はっかげんしょう=エフロレッセンス)とは、簡単に言うとコンクリート表面付近の石灰成分がコンクリートに染み込んだ水分などで溶けて表面に染み出し、水分が蒸発して石灰分だけが残ったり、空気中の二酸化炭素と反応して固まることによる。これらは以下の条件で区別される。
- 1.コンクリート等が硬化する時に、内部から表面へ移動した余剰水により溶かされて析出したものは一次白華 (析出…せきしゅつ。溶液またはガスなどから固体が分離して出てくること)
- 2.ひび割れや表面を伝う雨水・地下水等、外部の水により溶かされてできるものは二次白華
この白華現象は、コンクリートが固まる際の水分量の他にも様々な要因が関係して発生するものと考えられていて、例えば日光がコンクリートの表面に当たって乾湿の差が大きい南側には生じやすいとされていたり、気温が高い夏よりも、寒い冬の方が進行しやすいといった特徴がある。また、酸性雨が原因とされることもあるが、白華現象が起きる要因は多岐にわたるため、一概には言えない。
少し角度を変えて撮影してみた。左奥が私が入ってきた場所である。こうしてみると規則的に施工されている欄干や、立派な橋脚がよりはっきり見えるだろう。この橋脚もコンクリートで施工されていて、ところどころに白華現象は見られるものの、きちんとメンテナンスすればまだまだ現役でいけそうな感じがする。こういう古い橋に言えることだが、こういった橋は下から見ても美しいと感じられるし、周りの風景に溶け込んでいたりする。それは時間のせいもあるのだろうが、これに対して現在の橋は機能的で美しい側面もあるんだけど、なんとなく素っ気ない気がするのか気のせいか。下に回り込んで、橋桁をもう少し観察してみることにする。
う~ん、橋桁は傷んでるなぁ…。コンクリートの腐食が進んで剥がれ落ち、中の鉄筋が見えている。鉄筋はかなり錆びついており、これは早急に手を入れた方が良さそうだ。この橋に通じている道は国道7号の旧道だが、一見すると田圃の畦道にしか見えないため交通量も非常に少なく、今さらこの橋に過大な荷重がかかることはなさそうだが、せめて車が通るのは止めてほしいなぁと言う気がする。
今度は橋の上に戻って、今度は反対側からこの橋を眺めてみる。
読めない銘板
橋を渡って撮影してみた。右側の竹藪もそうだし、左手前の親柱の前にある、なかなか太い木もいい感じだ。手前左にある電柱がなかったらいいのになぁと思ったが、それは我儘と言うものだろう。今はこの橋が現在まで残っていたことに、改めて感謝だ。よく頑張ったなぁと声をかけてあげたくなる。
さて、早速親柱を確認してみよう。何か掴めるかもしれない。…と思ったのだが…
読めん!(笑)
いや、正しくは「昭和○○年五月竣功」と言うところまでは、なんとか読める。しかし、肝心の「何年に竣功なのか」ということがわからんじゃないか。こちら側の親柱の頭も欠けてしまっていて、内部の疎石コンクリートが見えている。銘板らしき部分の両側面も、一見すると石組みのように見えたがコンクリートの化粧仕上げで、当時としては(今もだが)立派な仕上げだったろう。
反対側の親柱を見てみると、親柱の前に「密接して」木が生えているのと、長年の苔のおかげで橋の銘板に何が書いてあるのか殆ど判別出来ない状態だ。自身の身体を捻じ曲げて覗き込んでみたが、最近なぜかお腹が出てきたおかげで、体勢がキツイとお腹が苦しいという事態になり、情けない話だが諦めた。旧道や廃道、隧道のためにも減量しなければと、切に思う今日この頃である。
この橋はおそらく昭和初期で戦前の竣功だろうから、その時代から考えると豪華な仕上げの橋だったと思われる。さすが国道7号、一級国道の橋梁と言えるだろう。仮にこの橋の竣功が昭和10年とすると実に85年前の竣功となるわけで、今までよく風雪に耐えてきたものだ。
さて、今度はこの橋に繋がっている旧道を先へ進んで、現道へ繋がるところまで歩いてみよう。