一般国道7号
明月橋旧橋 第2部

2020年1月26日 探索 2020年2月12日 公開

本来の目的である蕗の薹(ふきのとう)はすっかりそっちのけとなってしまい、その途中で発見した雰囲気満載の古豪の橋にハマってしまった私だが、前回でいよいよその橋の前に辿り着いた(辿り着いたとは言うものの、単純に旧道と思しき道を歩いて行っただけなのだが)。早速調査を開始しよう!とは言うものの、さてどこから始めようか。まずは親柱を確認して、その後で渡ってみることにしよう。ということで、まずは左の親柱だ。

苔むした親柱に橋名が掘られた石板がはめ込んである。その石板には、苔むした今でも立派に判別できるほど明確に「明月橋」と彫られている。親柱の頭は雪の影響だろうか、一部が欠けてしまっているが、その貫禄は現代の橋にはない風格と、上品なモダンさがあるように思える。現代の橋の親柱も、ただ飾り立てるだけではなく、こういった感じに出来ないだろうか。親柱を少し違う角度で見てみよう。そう思って、少し橋の上に入り撮影してみた。

ふむ。やはり親柱のデザインは左右同じだが、こちらだけなぜか親柱の頭の角が削れてしまい、丸くなっているようだ。錆びたガードレールは歴史を感じさせてくれて私としては非常に嬉しいが、その前にある不法投棄の山はいただけない。旧道や廃道、隧道を辿っていると必ずと言っていいほどこうした不法投棄の現場に出会うが、見るたびに非常に悲しい気持ちになってしまう。これが原因で環境破壊はもちろん、工学的にも歴史的にも非常に価値ある隧道や橋梁へ通じる道が通行止めになり、立ち入り禁止になってしまって、その存在が確認できなくなり歴史の狭間に埋もれてしまって、保存しなきゃいけないものが保存できなくなってしまう。これは非常に残念なことだと思うのだが、どうか。

ひとしきりこうしたことを思って橋を眺めていたが、このままここで思いにふけっていても仕方ないので、右の親柱を確認してみることにした。
どれどれ…あっ!!!

残念!銘板が割れている!(泣)

銘板の大事なところが割れてしまって、「竣功」としかわからんじゃないか。親柱の苔の付き具合は、こちらの方がまだマシか。おや?こちらの親柱の頭は一部が欠けてはいるものの平面だ。となると、右と左で親柱の形が違うのも変な話だから、左の親柱も元々は平面であり後に角が崩れてしまったか。この明月橋がいつ建造されたかは机上調査編で調べるとして、まずは…橋の近辺を調べることにして、橋の下に降りる道がないか確認だ。左の親柱の辺りに見当をつけて調べてみよう。

ふ~む。ここからなんとか橋の下に潜り込めそうだ。車には長靴が積んであるので、履き替えて調査することにしよう。しかしこりゃすごい竹藪だなぁ。地面には竹の枝や折れた竹が落ちている。折れた先はなかなか鋭そうだ。万が一にもどこかに刺さって破傷風に感染しないように、踏み抜きや手のケガに気を付けなきゃいけないな。皮のグローブも装着することにしよう。

おおっ!

いや~、傷んでるなぁ。この橋の竣功は親柱の銘板が割れていたのでわからなかったが、このコンクリートの感じからすると昭和の前半だろうか。戦前の竣功と言う気がする。橋梁工学は専門ではないので、詳しいことはわからないが、少なくとも橋桁と橋脚の接合部にある出っ張りは現代の橋にはないものだと思う。それにコンクリート全体が黒ずんでいて、傷んでいるような感じがする。それでも橋のところどころに見られるコケや、橋台の形などに年代を感じる。もう少しじっくり見てみよう。

少し上を見て橋桁を見てみると、コンクリートが老朽化で剥がれてしまって、中に埋め込まれている鉄筋が見えてしまっている。年月を重ねて黒ずんだコンクリートは傷みが激しい。この橋が現代まで残っているのは何か理由があるのだろうし、今すぐにでも保守をお願いしたいところだ。しかし、欄干の造りには年代を感じる。現代の橋ならまずやらないだろう手間をかけて造られている感じがする。

本来の目的である蕗の薹は忘却の彼方へ去ってしまっているが(笑)、今はこの橋の調査へ集中することにしよう。まずは下側の調査を進めた上で(橋をしっかりと観察した上で(笑))、橋を渡ってみることにしよう。

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