一般国道351号旧道
榎峠・比礼隧道
末端部再調査編

2019年9月16日 探索・2019年11月16日 公開

皆さんもご存じと思うのだが、この榎峠と比礼隧道は、実は以前に紹介済みであったりする( → 榎峠・比礼隧道)。
今回は再調査編ということで、この旧道をもう一度紐解くのだが、なぜそうするのかと言うと…。
前回、本編を書いて完結した後、しばらくして何気なくなのだが、この比礼隧道付近の地図をネットで眺めていた。こんな風景だったなぁと振り返りながら、割と楽しく眺めていたのだが、そのうちに旧道が現道に接続する比礼側の道の様子になんとなく違和感を覚えた。まずは現在の地図を見て頂こう(今回は話の展開上、先に机上調査を行ってから探索に入ることとした)。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載

これは現道の地理院地図の画像だ。左端下側に神社の記号が見える。このすぐ右のそばを通っているのが、比礼隧道から降りてくる国道351号の旧道だ。この旧道は神社の前を通り、そのまま現道へ繋がっているのだが、神社の前の道形を見ると以前はここを急カーブで曲がり、そのまま真っすぐ進んでいるように見える。
細かいことなのかもしれないが、この神社の前の道の妙な膨らみがどうしても気になった。もし、この道の旧道が今と同じようにそのまま現道に降りているのではなく、地図中に示した矢印のように進んでいたのだとしたら、間違いは訂正して正しい情報を伝えたいし、その道から見える景色を、私はぜひ見たい。


さて、現在の道形は地図で確認できるが、はたして昔はどうだったのか。地図を手配すると時間がかかるので、航空写真で確認してみよう。

国土地理院撮影の空中写真(1975年11月撮影)

画像中「榎トンネル」と注釈があるが、これは現在の新榎トンネルのことである。国道351号が国道として指定されたのは、1975年(昭和50年)4月1日。この画像は、それから7か月後に撮影されたものだ。この当時はまだ新榎トンネルは開通しておらず(開通は1988年(昭和63年)8月)、太い線のように見える現在の道筋の国道351号は、左下の十字路から現在の旧道に入り、比礼隧道を通って浦瀬町へ抜けていた。そして、航空写真中に赤い矢印で示した区間が、今回「旧道ではないか?」と考えている区間である。これは、この画像の撮影時期よりもう少し前の画像があれば解決するだろう。ということで、今度は1962年(昭和37年)5月を見てみる。

国土地理院撮影の空中写真(1967年5月撮影)

やっぱり旧道だった!

この頃は現在の榎トンネルもなく、国道351号に指定される前の県道だった時代。画像を見るともう答えは出ているが、やはり旧道は神社の前でカーブしていた。あの神社前の微妙な道形は、やはりここで道が曲がっていた証だったのだ。初回の訪問時には比礼隧道で興奮していて気付かなかった。

右側の赤い矢印付近を見てみると、旧道はここも結構な急カーブになっている。今の道形と重ねてみると、おそらくここから新榎トンネルに向かう新道が造り進められたのだろう。そして新道を進んできた車が、新榎トンネル工事現場の直前で旧道に入ることが出来るように、神社前から真っ直ぐ新道に降りる道が造られたと考えることが出来る。と言うことで、この矢印で指し示した区間が旧道ということになるのだが、そこで一つ気になることが。
前回、比礼隧道などの探索を行った際に、もちろんこの区間も探索したのだが、この神社の前には確かそれほど広い道はなかったはず。旧道らしき道の覚えがないのである。…しかし、あれこれ考えていても仕方ない。

ということで、この旧道の末端部の再調査、さっそく現地に行ってみよう!。

前編へ