一般国道351号旧道
榎峠・比礼隧道
末端部再調査編
後編

2019年9月16日 探索・2019年11月24日 公開

今回は、前回にそのあまりの迫力と言うか美しさと言うか、そんなものに圧倒されてしばし動けなくなった切り通しから始まる。先に見える画面中央の塔のようなものは電波塔で、旧道はこの切り通しを抜けて電波塔の前を通り過ぎ、更に奥へと進んでいく。道幅は相変わらず狭いようだが、おそらくゴールはそんなに遠くない場所にあると思う。道の雰囲気からもたらされる歴史の感触をヒシヒシと感じながら、先へと進んでいく。

切り通しを抜けたところで、振り返って撮影してみた。今、私が立っている場所が木々が生えている森の地面よりも低く、そこに道を通そうと考えると、どうしても奥から手前に向かって切り通しが必要になる。そこでこの見事な切り通しが生まれたのだろう。いずれにしてもこれは近年に生まれたものではなく、この道が持つ時間の重さを感じる風景でもある。

電波塔を過ぎると、このような交差点に出る。電波塔の付近は道の周りの木々も低くなって空が明るくなるが、すぐにまた深くなって森の中を通る道の様相に戻る。この交差点で言うと、旧道はもちろん真っ直ぐ進んで左にカーブしている直進方向へ進む。ここになって空がもたなくなり、また雨がパラパラと落ちてきた。決して強い降り方ではないが、降らないに越したことはない。少し早めに進むことにする。

交差点の左カーブを抜けて先へ進む。先のように切り通しではないが、森の中を突き抜ける道。往時は舗装されてなくて砂利道だったはずで、向こうからその身体を細かく揺らして土煙を上げながら乗用車やトラックが走ってきそうな風景じゃないか。天候が晴れていれば、ここはきっといい雰囲気の景色になったはずで残念である。

先ほどの切り通しは直線だったが、今回は左カーブの切り通しである。辺りには木々が生い茂り、昼間でも薄暗い。ここで手元の地形図を広げて確認してみると、このカーブは最後の左カーブで、ここから直進して現道の合流点に向かうようになっている。この旧道区間に入って切り通しが二カ所。このような切り通しはあまり出会えないので、非常に印象深い道となった。

左カーブを抜けると、予想通りと言うべきか真っ直ぐの道が現れた。右には農機具小屋だろうか、倉庫らしき建物がある。向こう側から来ると若干上り坂になっており、比礼隧道へ向かうここからが、旧道の榎峠の始まりだったのだ。そう考えると、この榎峠は全長がすごく長い峠道ということがわかる。

この先がゴールだ!

ここから右へ進んで現道に出るまでが、新榎トンネルが開通するまでの国道351号の旧道と考えて間違いないだろう。この探索の起点となった神社の前からここまで、結構細い道が続いていた。日々増大していたであろう当時の交通量から考えると、この区間は県道のボトルネックになっていたであろうということは、想像に難しくない。なので新榎トンネルの開通もそうだが、まずはこの先の合流点から新榎トンネルの入口直前まで新道を先に開通させ、この区間だけでも先に切り替えたのだろう。
しかし、新榎トンネル直前から比礼隧道まで向かう道はともかく、その先の浦瀬町へと下る道がこれまた狭く、急勾配の連続で冬季は通行止め、冬季でなくても雨が多く降れば通行止めになってしまう。結局、浦瀬町から比礼の区間を全線新道に切り替えるしか、改良する手立てはなかったのである。


この探索の最初から振り返ると、スタート地点である浦瀬町の交差点に始まり山中の狭い道を経て比礼隧道を過ぎ、比礼集落まで辿ってきたこの旧道区間。実は最初は何の予備知識もなく進んできた。
この旧道は調べれば調べるほど奥が深く、道路としての歴史はもちろんのこと、その道路を切り拓くことになった経緯や沿線の油田と従事していた人々、やがて出来た町に出入りしていた八百屋さんや魚屋さんなどの商店や町の生活の営みなど、この道を巡る人々の生活の様子なども、実に多くの資料から垣間見ることが出来た、とても印象深い旧道だった。
油田を中心に繁栄していた町にあった商店や病院、学校などの街並みは、油田の衰退や閉鉱と共に消えていき、その大半は森に戻ってしまっている。今は、この旧道を通ると微かに感じる原油の匂いが、賑やかだった往時を教えてくれるのみである。

一般国道351号旧道 榎峠・比礼隧道
末端部再調査編

完結。