一般国道113号
弁当沢トンネル旧道
前編

2019年5月3日 探索 2019年10月23日 公開

穏やかな旧道

ということで、私は弁当沢トンネル旧道の入口に立っている。この日は113号の旧道を巡る日で、ここへ来る前に4カ所ほど巡ってきて、ここが今日最後の探索地だ。時刻は16時頃で夕刻だが、初夏の青空と日差しに照らされた緑が美しい。路面には整備を行う時に付いたものだろうか、ダブルトラックの道筋が見える。それを見ると道幅がある程度掴めると思うが、御覧の通りさほど広い道幅ではない。目算でおおよそ3.5メートル程度だろうか。
もっとも、昔の車は今の車よりも一回り小さかったので、この幅でも十分だったのだろう。今なら軽トラがすれ違って精いっぱいだろう。通行止めも立ち入り禁止の表示もないので、そのまま先へ進む。

旧道に入ってすぐ、川側の路肩に何かあったので駆け寄って確認すると「山形県」の標柱を見つけた。角が取れて丸くなったり、赤い塗料がところどころに残っていたり、文字の字体が筆書きっぽい文字だったり、風格のある昔ながらの標柱だ。これがここにあるということは、この道が113号の旧道で、かつ県道だったことの証である(国道113号は元々荒川新道・小国新道で、新潟県道・山形県道だった)。立ち位置が斜めになったりしていても、ちゃんと残っていることに少し感激した。

う~ん、気持ちいい!

一人でポツポツと旧道を歩いていると砂利を踏みしめる音だけが響いて、辺りに広がる新緑も気持ちよく、思わず深呼吸してみる。排気ガスの匂いもないし、ひとまず今はプーさんも辺りにいないようだし、右側の並木は桜だろうか。綱取橋の付近と同じく、この道も秋には紅葉で美しいだろう。

高い場所は苦手の部類の私だが、道端を少し覗き込んでみる。水面までは結構な高さがあって、ここから落ちようものなら命はないだろうなと思うのだが、他の旧道の例に倣って転落防護施設(ガードレールなど)の類は一切ない。もしかして現役だったころもなかったのだろうか。もしかして、自然に生えている木がガードレール代わり?。そんなことはないか。

ん~、実に長閑な道だ!。片洞門付近の旧道や綱取橋付近の旧道の雰囲気と比べると、穏やかさを感じるのは気のせいか。この道が現役だったころは、ここは風光明媚な区間だっただろう。自転車で走ってみたい、そう思える道だ。また現道が弁当沢トンネルの中のために走行音が全くなく、非常に静かな空間になっている。ここでも水面まで結構距離があるが、耳を澄ませると水の音が聞こえて小鳥のさえずりも聞こえる。

少し進んで、振り返って撮影してみた。左側の路肩が少し落ちてるような気がするし、入口付近よりも道幅が狭いような気がする。しかし、それでも結構な道幅がある。小国新道として明治14年着工したこの付近の道は、明治16年に竣功(綱取橋旧橋調査編を参照)しているが、このような断崖絶壁のところを山肌を削るようにして道を切り拓いた人たちのことを思うと、頭が下がる。

こうしてみると、やはりこの区間は路肩が滑り落ちているようだ。道幅が極端に狭くなっている。それでも道形が残っているのは、崖の斜面に生えている木の根のせいか。夕方の太陽が道全体を明るく照らしていて、歩いていても実に楽しい道だ。また、休憩しても最高だろう。時間が昼頃で、機材と材料があれば「ナポリタン」でも作りたいところだ(←辯當澤橋参照)。

路肩に残された道の証

更に先へ歩いていくと、道幅は以前の広さまで回復して桜川渓谷をトレースするように進んでおり、地形図でこの区間を見ても等高線通りに道が描かれていて、道を切り拓く時に無理をせず地形通りに道を作ったことがわかる。この前に3カ所の探索を行っていて、身体も多少疲れ気味のはずなのだが、足取りも軽く進んでいくと山側の路肩に、また標柱を見つけた。

おおっ!山形県の標柱ではないか。しかも「県」の字体が旧字体の「縣」で、かなり古い標柱であることが想像される。この標柱はおそらく入口付近の谷川の路肩にあった標柱と同じものだろう。立ち位置が斜めになっていた路肩側の標柱とは違い、山側の斜面に垂直でしっかりと立っている。ということは、ここは道が拓かれてから一度も崖崩れなどが起きていないということになる。


ここまで来ると、この弁当沢トンネル旧道もあと少しでゴールだ。
実はこの旧道を探索する前に辯當澤橋を探索していたのだが、そこで少し気になることがあった。それは、この旧道がどこで現道に合流していたか?なのだが…それらしき場所はなかった気がするのだ。もしかして…と思う場所はある。それも、もうすぐわかるだろう。

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