一般国道113号
朝篠トンネル旧道

第5部

2020年5月2日 探索・2020年12月4日 公開

道の勾配はほとんどなくなって、自転車で通るにもさほど辛くなくなってきた。のんびりと進むと、右側には作業小屋らしき建物があって、両側を杉に囲まれた場所に出る。囲まれてるとは言ってもそんなに密集してないので、旧道によくあるような杉林に囲まれて道も暗くなってしまって…なんてことはなく明るい雰囲気だ。ここだけ見ると往時の国道にはとても見えず、当時の道と言うインフラがいかに脆弱だったかということを教えてくれる。

両脇に杉が生えている場所を過ぎると、劇的に道が明るい印象になった。左に横川の流れが見えるが、周りが田圃や畑や低木の木々が多いため、空が明るくて広くて爽快な上に緩やかな下り坂で、これ以上ない位の快走路だ。でも道幅は狭く、おおよそ1.5車線あるかないか。いくら昔の車は今の車より車幅が狭かったとしても、対面通行が出来るかどうかのこの道幅でいったいどうやって通行していたんだろう?と言う気がする。
ここは水沢という集落になっており地図上では数軒の建物の記号があるが、一つ前の画像の右側に写っていた民家以外は見つけられなかった。



今回の旧道の「山」の区間を抜けたところで、振り返って撮影してみた。
ここから右に(画像では振り返って撮影しているので、左に分かれている)分岐する道があるが、これは旧道ではなく何かの作業道だろう。チェンジ後の画像はその作業道らしき道の方向を見てみたものだが、これまでよりもっと狭い道が山の方へ入っていくもんだから、なかなかそそられるものがある。時間があれば少し入ってみたいものだが、今回は時間の都合上スルーした。さて、旧道の方はと言うと…

ここから先は横川の川岸を通る区間だ。ここは道が一度流されてしまったか護岸が崩れてしまったかで、かなり大掛かりな補修を受けたようだ。頑丈なコンクリートに守られた旧道が横川のすぐ脇を走っていて、路肩にはまだ新しくて白さが眩しいガードレールが延々と設置してあるという、現代の道の作り方だ。もしかすると補修を受ける前よりも道幅が広がっているかもしれない。さて、この区間は横川ともう一つの流れに道が挟まれている区間のはずだけど、それらしきもう一つの流れが見当たらないのだが…



もう一つの水の流れを探しながら少し進んでみて、振り返って撮影したのがこの画像だ。ここから見ると横川を跨ぐ緑色の橋らしきものが奥に見えるが、あれは米坂線の鉄橋。米坂線はこの旧道の付近で実に4回も横川を渡っていて、ここだけ山を避けて朝篠の集落を通っている。なぜトンネルで貫かずに迂回する線形を取ったのか疑問だということは冒頭でも書いたが、現地に来るとあらためてそう思う。
チェンジ後の画像は、ここで急なカーブを描いて流れを変える横川の流れをメインに撮影したものだ。空の青さと新緑の緑が鮮やかで、目に染みる。横川の流れもこの撮影時は静かなものだが、梅雨の時期などは増水して暴れ川になるのだろう。川の流れの中にいくつも転がっている大きな岩が、それを物語っている。

これから進む方向を確認する意味もあって、進行方向を撮影してみる。若干日が傾いているのもあって逆光気味になっている画像だが、道の雰囲気は掴めると思う。新しく造られた(改修された?)川沿いの護岸は、私が今いる場所から少し先で終わり、その先はそれまでのオリジナル(?)の護岸に戻っている。護岸が新しい区間は川がカーブするところであり、やはり大雨などで横川の水位が上がって護岸が壊され、その上にあった旧道も何らかの影響を受けたものと思われる。でも、それでこの道を廃道にせずに復旧するところが素晴らしい。

少し先へ進むと、道のそばに水路が寄り添う地点に出た。…水路自体は狭いが、地図上で横川と細い川のような水路に挟まれた区間はどうやらここらしい。この水路は農業用水路と思われ、水量も豊富でなかなか早い流れだ。この水路の水は、この先にある松岡地区の農業に大きな役割を果たしていると思う。旧道の道筋はこうした水路の道筋としても使われている。そして、その外側にある山側の擁壁は、この区間で旧道の面影を残す唯一のものだと思う。

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