新潟県主要地方道71号
小千谷川口大和線

木沢トンネル旧道 木沢隧道
第4部(完結編)

2021年9月11日 探索 2021年12月11日 公開

さて、ここからは机上調査編だ。
まずはこの木沢隧道がいつ竣功したのか、そこから調べてみた。まずはお馴染みトンネルリスト。・・・意気揚々と調べ始めたのはいいのだが、早速問題にブチ当たってしまった。まずは、リストを御覧頂こう!。

これはトンネルリストの一部分を抜き出したものだ。赤線が木沢トンネル(現道)。黄色の帯の部分は竣功した年号と年度を現して表していて、木沢トンネルの場合は竣功年は平成3年になる。前章で確認した木沢トンネルの銘板では竣功は1991年11月となっていたので、まさしくピタリと符合する。また、延長もこのリストを見ると305メートルとあり、銘板も確かにそうなっていた。

問題は木沢隧道の方だ。竣功は1983年(昭和58年)になっているが…ここで私の悪い癖が出た。それは・・・

そんなことはない
日付が新しすぎる。

隧道の扁額を見てみると、右から左に書かれている。つまり右頭の書き方になるのだが、この並び方で文字が書かれたのは太平洋戦争までで、太平洋戦争中に左頭の書き方に変更され、1945年(昭和20年)以降、左頭の書き方に変わったとされている。ということは、この扁額が書かれたのは昭和20年以前ということになる。

そうなると、トンネルリスト上の竣功年である1983年(昭和58年) は、改修された日付ではないのか。と言うことで、今度は久しぶりの登場になる新潟県発行の「道路概要1964」を見てみよう。

竣功年月の記載がない!

この「道路概要1964」と言う資料は、これまで様々なレポートに資料として登場し多くの県道の謎を解いてきた非常に有用な資料だが、この資料にも記載がないとなると、竣功年の調査はかなりの難関になりそうだ。だが、昭和20年以前であることは間違いないだろう。面白いのは巻立37m、支保工23m、路面は未舗装だが正面巻立は存在しているという、目の前にその姿が浮かんできそうな姿をしていたと言うことだ。おそらくは現在の姿の突出した坑道がない風景が、開通当時そのままの姿だったことと思う。

余談だが、この資料中で木沢隧道のすぐ上にある「塩谷隧道」が非常に気になった。全長500m、巻き立ては木造で500m、幅員と有効高は共に1.8m、竣功は1940年(昭和15年)。間違いなく手掘りの隧道と言うことが予想される。私の探索対象に入ったことは言うまでもない。

今度は、この隧道がどのような場所にあるのか。地形図を少しズームアウトしてみてみよう。

位置関係はこのようになる。こうして地図を見ると木沢隧道と木沢トンネルが、いかに震央に近いかと言うことがよくわかる。
震源の深さ13キロ、最大震度は震度7、マグニチュード6.8と言う、まさしく「大震災」と言っても差し支えない、非常に強く大きな地震だったことはご存じと思う。その時に、この木沢隧道と木沢トンネルがどうなっていたか。あまり見たくないような気はするが、今後のためにも見てみよう。

抜粋・・・JSCE地震工学研究発表会論文-2005森&土谷

論文の中で紹介された画像なので様々な矢印が見えるが、それよりも隧道の右側の壁に斜めに走る亀裂を見て頂きたい。左にも壁が一部崩れて土砂が流れ込んでいるところが見えるが、やはり斜めに走る亀裂が左側にも見える。現代の技術で堅牢に造られたトンネルでもこうなるのだから、木沢隧道はどうだったか。画像は残されていないが、当時の木沢隧道の様子を記した文章なら見つけることが出来た。


竜光地区からの山古志村に続く道路は寸断されており、徒歩で行くしか方法が無いので、他のルートから山古志村の近くまで行くことにした。越後川口から通行可能な道路を選び、県道 582 号から抜けることを試みたが、道路、トンネルの決壊で途中までしか行かれなかった。木沢で木沢トンネルの通行止め、迂回路の木沢隧道の崩壊で断念した。(以上、新潟中越地震災害河川関連調査緊急報告 土木学会関東支部 緊急調査団 芝浦工業大学 菅 和利 院生 柏崎、八鳥 東洋大学 福井吉孝 各氏 より一部抜粋)


この画像は、おそらく木沢集落側の坑門付近から撮影したものと思われる。それにしても、この坑門付近の崩れ方はどうだ!。
見間違いであって欲しいが、坑道もやや歪んでいるように見える。今の木沢隧道はこの状態から復活したのだ。そりゃあ坑道が飛び出たような、ある意味で異様な姿になるでしょうよ。だが、特筆すべきは現道の木沢トンネルがあるにも関わらず、旧道であるこの木沢隧道も見事に復活させたことだと思う。普通なら放棄して通行止めにして終わりになるにも関わらず、それでも木沢トンネルと木沢隧道の2本とも復活させたのは、地元の方々の願いそのものだったと思いたい。

坑道の補強が飛び出して、初見では異様に見える隧道。だがその後ろには木澤集落と峠集落を結ぶ生命線として、両集落の多くの人々を通してきた歴史と誇りがあった。だからこそ、この隧道は一町道だったにも関わらず復活されたのだ。埋められるより、廃道処理されるより、崩れたままの可哀そうな姿を晒すより、異様な姿に見えるけど、坑道が飛び出たこの姿の方がずっといい。今でもこの隧道が生きて、地域の方々を安全に通している証なのだから。

これからも、この2本のトンネル(隧道)が
永くこの峠を通る通行者や
二つの集落を結ぶ生命線として活躍してくれることを

心から願う。

でも、大丈夫と思う。
だって、あの地震から復活したトンネル・隧道だもんね!

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小千谷川口大和線

木沢トンネル旧道 木沢隧道

完結。