新潟県主要地方道71号
小千谷川口大和線

木沢トンネル旧道 木沢隧道
第3部

2021年9月11日 探索 2021年12月7日 公開

キッチリと補強の施工がされた坑道を通って反対側に出てくる。隧道自体の全長がそんなに長くないので、通ることだけに集中すると、徒歩でもあっと言う間に反対側に出てきてしまう。そんな旧道は隧道を抜けると右に急カーブ、あとは一直線に峠を降りるかのように集落へ向かっていく。
向かっていくのはいいが、その前に隧道の坑口を確認しないとじゃないか。早速振り返ってその坑口を見てみよう。

これ、反対側の坑口。入口側には立派な坑門が見れたが、こちら側にはそれらしきものが見当たらない。もしかして地震の際に崩れてしまったのか、それともここから見えるように、色鮮やかな緑にスクスクと育っている下草に覆われて、見えなくなってしまっているのか。どちらにしても、坑道を頑丈なコンクリートで巻き立ててあるというのは変わりないようだ。坑口の左上には、やや年季が入った雪崩防護柵が設置してあるのが見える。

坑口から右にカーブして下っていく旧道は、それこそ「一直線に」と言った方がいいくらい、真っ直ぐ下っていく。先の方で左にカーブしているが、あそこまで来るともう現道はすぐ近くに来ていて、目と鼻の先だ。
どうも私はこうした初訪問の旧道の探索を行うときに「峠まで道程が長い方から入っていく」ことが非常に多く、峠を越えるとあっという間に現道に到達と言うことが非常に多い。今回ももれなくそうなってしまった。
いや、今回もそうなんかなぁと言う予感は何となくしていたんだよ?、何となくね。でも、認めたくなかったんだけどさ。・・・当たっちまったじゃねーか(笑)。

ここで上を見上げると、この通り。見よ!この並んだ雪崩防止柵を!。この旧道が地域にとっていかに大切であったかが、わかろうと言うものだ。施工はいつかわからないが、その風貌は実に貫禄のある姿で、雪深いこの地域ならではのものだろう。

旧道を下っていくと少し道幅が広くなって、現道の合流点がもうすぐ近いことを教えてくれる。先の方に見えるのがその地点だが、やっぱり峠の道程はこちらの方が短い。やっぱり間違いない。今回も道程が長い方から入ってきてしまったようだ。先に見える集落は木沢集落、この旧道がその昔所属していた主要地方道71号と、一般県道477号荒谷竜光線が交わる集落だ。そして、今通ってきた木沢隧道の手前にあった峠集落とともに、中越地震の震央に一番近い集落でもある。

えらく複雑な交差点だな!

右斜めからやってくるのが現道の主要地方道71号。その手前に現道の木沢トンネルがある。この旧道と合流して真っ直ぐ抜けていく道が現道だ。こうして見ると、やはりこちらの道の方が道筋として自然なように思える。
さて、木沢隧道を抜ける旧道はここで終わり。時刻はもうすぐ17時。太陽はもう沈んでしまっていて、辺りもずいぶんと薄暗くなってきた。暗くなってしまう前に、峠集落側に停めているベースの車に戻ろう。せっかくだから、現道のトンネルを通って戻ろうか。

上の交差点から木沢トンネルの方向を眺めてみる。これが現道の木沢トンネルだ。こうして見ると、木沢トンネルは木沢隧道の真下を通っているようにも見える。それに、やっぱり現代の技術で掘られたトンネルだけに、すごく安定している印象を受けるが…。ここも地震の際には大きな被害を受けたことだろう。戻ったら調べてみることにして、今は帰路を急ごう。



トンネルの銘板を見てみる。竣功は1991年(平成3年)11月。私から見ると、1991年は意外に近い年代のように思えるが、よくよく考えてみると今から30年前にもなる。となると、あたしゃ20歳じゃないか。えーと、その頃はどこに居たっけか(←転勤商売だったヤツ)。

チェンジ後の画像はトンネルを通っている時に内部に設置された標識。下り勾配6.6%、しかも30m先からとは、なかなかえげつない勾配のように思えるが、どうか。

下り6.6%と言う下り勾配を過ぎて、最初の場所に戻ってきた(画像は撮り忘れてしまったので、最初の画像を使用した)。あとは自宅に戻って机上調査だ。この隧道の歴史はもうほとんどわかっているので、残るは木沢隧道と木沢トンネルが今までどんな時間を過ごしてきたか。それを追跡してみたい。

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