新潟県主要地方道71号
小千谷川口大和線

木沢トンネル旧道 木沢隧道
第2部

2021年9月11日 探索 2021年12月3日 公開

「穴」を見つけて、逸る気持ちを抑えつつ、誰に見せる訳でもないのに何故か落ち着いたフリをして、その「穴」に接近していく。もちろん、その「穴」とは木沢隧道のことだが、その外観をここから見るだけでも気分が盛り上がってくる。
・・・え?、何故かって?。だってねぇ、結構な道幅で峠に向かって進んで行って、上がり切ったところで稜線の真下を貫くように掘られている隧道。実に素敵なシチュエーションではないか。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載

ところで、この画像にも見えている路面右側の広い場所は実は道路の分岐点で、ここから右側に道が分岐している。地図を再確認してみると、その道は二子山山頂付近を通って峠集落方向へ抜けている林道で、この道も突っ込んで行きたかったが今日は残念ながら時間がない。まだまだこの付近には訪れなくてはいけないので、ここはひとまず再訪することにして、本日のメインディッシュは木沢隧道。正対して観察してみることにしよう。

おおっ!坑道が外に飛び出ているっ!。実に変わった隧道だっ!・・・って、そんなことはなく。これは後世に改修された結果の姿だろう。その原因は何となくわかる気はするが、まずここは観察に集中することにする。坑道の後ろに見える山肌に見える壁の構造物が、おそらく坑門のスパンドレル(アーチの円弧の外側の壁)だと思うが…。すると、この突出型坑門のように見える構造物は後で改修された際にできたもので、元々の坑門はスパンドレルの位置で間違いないだろう。とするなら、扁額が残っているかもしれない。早速近づいて確認だ!。

坑門左側から回り込んでズームレンズで撮影してみたところ、元々の扁額を撮影することに成功した!。そこには右から左に「木沢隧道」とある。
この「右から左へ」の書き方が「左から右へ」に変わっていったのは、1952年(昭和27年)4月4日付け内閣閣甲第16号各省庁次官宛内閣官房長官依命通知として作成され、全官庁に対して発出された「公用文作成の要領」と言われる通達が始まりとされており、この通達は他の通達と同様に通常の法令や告示とは異なって官報に掲載されることもなかったが、公用文の基本的な書き方として広く用いられることになった(なお、原文は文化庁のWEBに全文が公開されている)。てことは、この隧道は1952年(昭和27年)より前と言うことになるのだが…。
この扁額の造り込み方から見ると、この隧道は古くからここに存在して二子山の峠を越えるために役に立っていた隧道のようで、現在に至るまでの途中で致命的な事象が発生して、坑道全体を巻きたてて補強することで強度を保っていると見た。
その補強している方法が単純なコルゲートパイプではなく、ちゃんとコンクリートで施工されているところに、この隧道に対する自治体の愛情を感じる。それでは通ってみることにしよう。

おぉ~!

坑道はガッチリとパネルのコンクリートで組み合わされて固められており、ものすごく安心感がある構造になっている。なるほど、これなら圧壊や崩落などの心配は一切なく、一年中安心して通行できるだろう。冬季は雪害と言われるほどの積雪を記録する地域であるが故に、普通に考えるとオーバースペックと思われるような構造と強度が必要なのだろう。隧道の延長はそう長くはなく、100mくらいではなかろうか。洞内も路側を除いて乾燥していて、隧道としてまだまだ健康な状態だ。歩道は設けられていないが、延長が短いことや交通量が極端に少ないということもあって、歩いて通行するのに不安を覚えるほどではないと思う。

反対側の坑門がどうなっているか楽しみだ。きっちり施工された坑道を観察しながら、前方に見える景色目指して進んでいく。

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