新潟県主要地方道6号
山北朝日線 旧巻澤橋

第5部(完結編)

2021年9月25日 探索 2022年4月14日 公開

ここからは、いよいよ完結編である。この橋を含む旧道が、なぜ4年で放棄されることになったのか。調査はしているものの、明確な答えとなる事柄にはまだ辿り着いていない。そこで、まずはいつものように地図を確認してみることにしよう。おなじみの地理院地図である。


国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追加して掲載


当たり前のことだが地図も進歩していて、昔の地図と現在の地図とを比較してみるとその見やすさは全然違う。やはり現在の地図の方が見やすい。
閑話休題。巻澤橋の位置を地図中に示してみた。橋が横断しているのが巻沢で、その巻沢が合流しているのは蒲萄川である。右隅にはここでもレポートした蒲萄峠旧道の姿が見えたりして懐かしい。何かヒントはないかと地図を眺めていると、現道の巻沢橋を渡った先にある「114」の水準点に目が留まった。その水準点がある場所は道路上で、結構急なカーブになっているのが見て取れる。

おそらくこのカーブは見通しが悪いはずなので、カーブミラーがあるはずだなぁと思っていたら、私が斜面から滑り降りる直前の画像が目の前に浮かんできた。それがチェンジ後の画像だ。その画像にはカーブミラーが写り込んでいる。このことから考えると地図上の合流点と思しき場所は、この水準点の付近なのではないか。そうすると、旧道がここに接続したとして、その先は現道の道筋を使っていたと仮定すると、旧道はこの位置で180度近く方向を変えるヘアピンカーブのような道筋だったということが考えられる。ということで、今度は旧版地図を見てみよう。

この地図は国土地理院発行 1913年(大正2年)測図 1934年(昭和9年)修正測図、
5万分の1地形図「勝木」を使用し、注釈を追加したものである。

いつの年代にするか悩んだが、どうせなら一番古い版がいいかなということで選んだのがこの版だ。初版は1913年(大正2年)だから、今から100年以上前の地形図である。そこには今は閉山した蒲萄鉱山の文字と、鉱山の地図記号の上に「あえん」の文字が見える。で、我らが旧道はと言うと…

急カーブで方向を変えてる!

この地図では上が寒川方向になる(県道6号が主要地方道になる前の名称は、県道蒲萄越後寒川停車場線)が、そこからやってきた旧道は緩やかなカーブで旧巻澤橋にアプローチして、橋を渡ると急に向きを変えている。この向きを変えた地点が…

おそらくここだ。そう、レポート中「進む前方は土の壁が立ちはだかっているかのように見える」と書いたあの地点で、旧道はここから右に曲がって向きを変えて現道に向かっていた。ということは、この道筋は少なくとも1913年(大正2年)から変わっていない古豪の道だった!。それだけではない、ヘタをすると(しなくても)明治車道だったかもしれない道筋だったのだ!。

となると、現地で私が最初に旧道の続きではないか?と疑ったこの道は何だったのかということになる。これを1913年(大正2年)の旧版地形図で確認すると、この道はおそらく旧巻澤橋を渡った先の急カーブの先端から少しだけ伸びている道のようだ。そこには渡船の記号も描かれていて、その渡船の行先は対岸のあえん鉱山と思われることから、この道は渡船の船着き場に向かう道だったのではないか。

(では、入って確認してみればいいじゃないということになるが、この道は前方のフェンスから先は立ち入り禁止になっている。これが道路法の道路なら「通行止めの理由が明示されていないじゃないか」となるが、ここは私有地であり道路法上の道路ではない。と言うことは、むやみに立ち入ってしまうと法を犯してしまうことになるので、立ち入りはしなかった。ご了承いただきたい)

この周辺の地形を照らし合わせてみると、巻澤橋を渡ったあとの道は今とさほど変わっていないようだ。これで道が切り替わった理由はわかった。だが、旧巻澤橋が4年で放棄された理由がわからない。可能性があるとすれば主要地方道の指定だろうか。主要地方道は第1次が1954年(昭和29年)1月20日に指定されてから今までに6回指定されているが、第4次の主要地方道指定が1976年(昭和51年)4月1日に指定されている。

現在の巻沢橋の竣功は1975年(昭和50年)12月。主要地方道に指定される4カ月前のことだ。
橋の切り替えには蒲萄鉱山が何か関係あるかなと調べてみたが、蒲萄鉱山の閉山は1960年(昭和35年)。あまり関係はなさそうだ。となると、線形改良としか考えられない。これは推論だが、それまで巻澤橋の付近が急カーブで危険な道形だったものを、主要地方道指定に合わせて現在の道形に整備したのではないか。そしてその区間内にあった巻澤橋は、最初から4年ほどで廃止されるのを計算に入れて造られた。だから、欄干が極端に簡素な造りになっているのかもしれない。


森の中に密かに存在した、私と同い年の巻澤橋。この橋を含む前後の区間は明治車道だったかもしれない、歴史ある道だったかもしれないことがわかった。旧巻澤橋がわずか4年で放棄されてしまった理由はわからなかったが、おそらくは急カーブの改善を目的とした道形の改良が原因だろう。

旧道化して放棄された道は地図からも抹消され、その存在を知る者はわずかとなった旧巻澤橋に会えて本当に良かった。また、距離は短いけれどそこには歴史が詰まっていて道筋も存分に楽しめた、ピリッとスパイスの効いた旧道だった。

また会いに行こう。

新潟県主要地方道6号
山北朝日線 旧巻澤橋

完結。