新潟県主要地方道6号
山北朝日線 旧巻澤橋

第2部

2021年9月25日 探索 2022年4月2日 公開

路面が妙に平たくなった場所に向かって歩いていくと、予想通り。目的の橋に到着だ!。
これが旧巻澤橋かっ!。ここから見ても欄干は鉄製で簡素な趣きをしている橋だ。だが、幸いなことに親柱は残っているようなので、さっそく確認してみよう。この橋の素性が掴めるかもしれない。ここまで続いていた路面のダブルトラックは橋の上に来るとすっかり消えていて、ここまでは車は入ってきていないようでもある。

まずは手前右側の親柱から。そこには立派な銘板が取り付けてあり、竣功年月日が刻まれていた。それによると、この巻澤橋の竣功は1971年(昭和46年)3月。なんと!私と同い年じゃないかっ!。と言うことは、この橋も50歳と言うことになる。実に感慨深い。それに、親柱の上部はまるで髪の毛のように苔が生えているのはいいものの、ご丁寧に真ん中がないじゃないか。誤解のないようにしておくが、私は薄くはなっていない(笑)。

続いて左側の親柱。そこにはやはり立派な銘板で橋名がひらがなで刻んであった。「まきさわはし」とある。よく見ると、それぞれの文字の大きさが微妙に違っていたりして、見本の手書きの文字をそのまま彫り込んだんだなと想像してみる。昔の橋の銘板は目立たないこういった場所に、思わずニヤッとする意匠があったりして、観察しているだけでも実に楽しい。

この橋が自分の誕生年月と同じだと知って、俄然親近感が湧いてくる。反対側の親柱に行く前に、この橋が跨いでいる「巻沢」とはどんな沢かと思い、覗き込んでみる。ここのところ晴れが続いていたのだが豊富な水量で、まさしく「森の中を流れる」という趣きの美しい沢だ。この橋を過ぎるとほどなく蒲萄川に合流して日本海を目指し、山の栄養素を海に注ぎ込んでいる。

林の中を流れていく巻沢の風景は、岸がカミソリ土手でもなく、セメントで固められてもおらず、自然のままの流れを保っているところが素晴らしい。橋の上から覗き込むと、小さい魚の姿が見えた。川の水面から橋まで結構な高さがあるが、それでも魚影がわかると言うことはどれだけ清流かおわかりいただけると思う。

巻沢の流れで感激した後は、残りの親柱を確認してみよう。渡り切ってまずは右側の親柱。大き目で、しかも立派な文字で「巻沢橋」とある。欄干は中空の角柱で構成されていて非常に簡素な造りだが、今の橋に比べると欄干の高さが非常に低いのにお気づきだろうか。昔の橋は、みんなこんなに欄干が低かった。それだけに、昭和初期の石やコンクリートの橋の欄干は非常に凝った意匠が施されていることが多いように思う。それが橋を含めた道全体に彩りを与えてくれていたんだろうなと私は思っている。

最後に、渡り切って左側の親柱を見てみる。そこには今の「主要地方道6号山北朝日線」の旧名称、一般県道蒲萄寒川停車場線」の名称が見える。この「蒲萄」の地名は漢字が間違えられることが多く、よく「葡萄」と標記されている。この橋の銘板にも「葡萄」と書かれているが、本当は「蒲萄」が正解で、この間違いは今でもよく見かけるので注意したいところだ。

簡素な親柱に、簡素な欄干。この時代の橋の標準的な意匠だったのか、簡素な橋と言うのは多く見かける気がする。そういえば、同じ新潟県の一般県道227号室谷津川線の大谷沢橋もそうだった。あ!、そういえば大谷沢橋も1971年(昭和46年)3月の竣功じゃないか。双方の橋とも健在で良かった。何か不思議な縁も感じたりもしているが、それは置いといてまずはこの橋の先に進んでむることにしよう。と言うことで、前方を見ると・・・

・・・おや?

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