小千谷大和線 後編

2018年9月17日 探索・2018年9月26日 公開
2018年10月23日 加筆修正

山ノ相川、県道178号線と探索して帰路に着いた時のこと。こんな看板を途中で見つけた。

これは「手作り村 相川」と言うことで、よく見ると「自由にお越しください」とある。

帰宅してから調べてみると、山ノ相川に住まわれていた元住民の方々が作られたもので、中には歴史資料館やアスレチック施設、ボートに乗れる池などもあるのだそうだ。歴史資料館は惹かれるところだ。当日はこの他に探索対象が「てんこもり」だったため立ち寄らなかったが、来年でも伺おうと思っている。

更に峠道を登っていくと、こんな峠道に出会えた。切り通しで拓かれた、実に良い感じの道!。奥の右側に見えるのは長岡市と小千谷市の市境標だが、実に簡素な市境標ではないか。

途中でふと右側を見ると、こんな風景が。…山が滑ってるが、中越地震の影響だろうか?。
よくよく見ると、土肌が露出している部分だけではなく、この山が全体的に滑ってしまった印象を受ける。地震の際はこの58号も無事では済まなかったかもしれない。ここを過ぎると明神地区はもうすぐ。でも県道58号は明神地区が終着ではなく、先へ続いている。せっかくなので明神地区を過ぎて先の大和方向へ行ってみた。
少し進んで振り返ってみると案内板がある。そこには…

山ノ相川の文字が見える!。40年以上前に離村した地域の名前が残っているではないか!。
それを見ていると、なんだか嬉しくなってしまった。その気持ちのまま更に少し進んでみると、美しい渓谷にかかっている貫禄のある古びた橋があった。早速、親柱を見てみよう。

道路の歴史と言うのは非常にわかりにくいもの。それは記録が残っていなかったりするからだ。しかし、現地に行って探索対象の路線に橋があれば、その橋の親柱を見ることである程度掴むことが出来る。確認してみると親柱には「昭和49年3月竣功」と刻まれた銘板がはめ込んであった。

反対側の親柱を見てみると、少しびっくりしてしまった。親柱の銘板に刻まれていたのは「つじまたいちごうきやう」。「辻又一号橋」これがこの橋の名前のようだ。表現にものすごく貫禄があって古いが、実は竣功は1974年(昭和49年)。しかし、この銘板や橋の貫禄は昭和40年代後半とは思えない程、年代を感じさせるものだ。


反対側の親柱には「県道明神大和線」の銘板がはめ込んである。ん?「明神大和線」?。そういえば、山ノ相川下条停車場線も、最初は「明神下条停車場線」だった。ふむ、なんとなく見えてきた気がするが、今は目の前の橋に集中しよう。チェンジ後の画像は反対側の親柱で、この橋の漢字表記が記されてあった。やはり「辻又一号橋」で正解のようだ。

もう一度、この親柱を眺めながら想いを巡らせてみる。
もしかして、現在の県道58号「小千谷大和線」は、元々は「明神大和線」と「明神下条停車場線」に分かれていて、主要地方道に指定されたときに、それまでは小千谷市道か別の名称の県道で、未開通区間を含んだ小千谷~山ノ相川までを県道に昇格させ、県道178号の山ノ相川~明神までを県道58号に編入したのではないだろうか。
おかげで県道178号は短くなってしまい、当時から既に居住者がいなかったであろう山ノ相川が終点になったのではないか、と言う疑問が浮かんで来る。
ま、この辺はもう少し調査してみるとして、最後は橋の上から見た川の風景。

果たして、県道58号の真実はいかに?!

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