新潟県主要地方道58号
小千谷大和線 前編
2018年9月17日 探索・2018年9月26日 公開
2018年10月23日 加筆修正
2019年5月10日 大幅な加筆
まずは地図をご覧頂こう。お馴染みとなりつつある地理院地図で、今回の主役である県道58号と、その仲間たちを地図上に表してみた。
178号や58号は、現地ではこんな配置になっている。この辺りは県道だらけなのだが、このうち178号と58号は未開通区間があり、全通していない。178号はパイロット道路があるからまだいいが、58号は何もないので開通する可能性はほとんどないと言っていいかもしれない。
ということで現地。その日、私は県道178号と58号の謎を解くため、国道252号の新潟県南魚沼市の明神地区にいた。私がいる場所は、ちょうど県道58号の入口付近である。
画像は国道252号の明神地区にある、58号の分岐点。一見すると市道のように見える、左下から分岐する道が県道58号だ。さぁ行ってみよう!。この画像はその58号の入口を撮影したものだが、正面に何やら表示板が見える。近くに行って見てみると…
おっ、これは通称「卒塔婆(そとば)」と言われる、国道や県道の案内標識ではないか!。
やはりここが県道58号の入口のようだ。では早速…と思って左を見ると、何やら入口に看板が。
やや色あせた看板で、絡みついている草が良い感じだが、読んでみると雨量規制の通行止めのお知らせらしい。ここから2.1㎞区間は当分の間(←強調してみた(笑))140ミリを超えると通行止めだそうだ。しかも解除は、雨が止んで3時間後に点検の上で判断をする、という内容。これだけでも、この路線が山岳コースと言うことを教えてくれるのだが、この県道が投げかける謎は、実はこれだけでは終わらなかった。
この画像は、上の画像に見える橋の親柱を撮影したもの。よ~く見ると、道の名称が今と違う(画像はコントラストを上げています)。
「一般県道明神下条停車場線」とある。実は、ここではあまり気にしなかったこの名称が、のちに私の頭を悩ませることになるとは、思っても見なかったのだが…
対岸に渡って反対側の親柱を見ると…この橋は「よしがさわばし」と言うらしい。草に埋もれかかっている親柱が、この道の交通量を物語っていると言ってもいいだろう。この道、とにかく交通量は少なそうだ。
それもそのはず、地図上で調べてみると、ここから山を越えて辿り着く山ノ相川集落には居住者はおらず、廃村になっている。そこから分岐する178号、58号共に未開通区間を抱えていて、まともに通れるのは209号山ノ相川内ヶ巻停車場線くらいのものだ。しかし、この川沿いに進む道幅の狭い209号を通るのなら、国道252号を通行した方が便利ということで、多分通行量は極端に少ないのではないかと思われる。
反対側の親柱を確認してみると、なかなか風化はしているものの「昭和47年11月竣功」と言う文字が見える。ということは、この橋が竣功した当初の1972年(昭和47年)は「県道明神下条停車場線」だったようだ。
山の中に入っていく道と言うのは、好きな風景の一つ。
いよいよ橋を渡って、全ての謎が収束する地の「山ノ相川」へ向かうとしよう。
さぁ、行くぞ!
しばらく進むと、道路の行先案内表示板が。なかなか新しいものだ。
ふと、どのくらいの人や車がこの表示板を見るんだろうか?と言う疑問が浮かんだのだが…
この表示板を拡大してみると、県道58号の行き先は「辻又」となっているが、これは途中の集落の名前。なんで58号と国道が合流する「一村尾」ではないのか?という疑問が、そこはかとなく(^^;
まさか全通してないとか?…いやいや、そんなことはないと思う。地図に記載あるから。
それにしても、なかなかアヤシイ道じゃないか、58号(笑)。先に進んでいくと標高がぐんぐん上がっていき、さっき見た表示板があんなに遠くに見える。
更に登っていくと、良い感じの上り坂。周りの緑が美しい(^^)
やがて市境へ。道はここから下りへ転じていく。
今まで一気に登っていた道は細かいアップダウンを繰り返すようになり…
稼いだ標高を取り戻すかのように、一気につづら折りで下っていくと
そんな山道を抜けると、3つの県道が重なる場所、山ノ相川へと到着する。
連続雨量140ミリになると通行止めの看板が立っている。入口で見た、色あせた看板の内容と雨量はあっているが、この区間の距離が明神側の看板より100m短いのはなぜだ。それに、明神側の看板では「当分の間」だったが、こちらでは既成事実になっている。いっそのこと、この看板を明神側にも建てればいいんではないのか?と思ったのは、私だけではないはず(笑)
その下に小さく、幅員3.4mの規制がある。道幅は決して広くはないが、506号の2.3mより「はるかに」マシである。しかし、思い出して頂きたい。この58号は主要地方道である。主要地方道としては、やっぱり狭い。
ここで地図を見てみよう。ここが山ノ相川。何もないところで、聞こえてくるのは鳥のさえずりと、風が吹き抜ける音だけ。何となく物悲しい場所なのだが、この場所も以前は活気があった。
これは明治44年の旧版地形図である。
山ノ相川と二子集落(現在の178号の終点)とはちゃんと道があったし、山の相川は神社もあれば学校もある、活気のある集落だったということが見て取れる。何より、現在の178号はこの頃から現在の県道の原型があり、本当は178号の方が58号よりも古くから存在していたということが地図から見て取れる。
ここから奥へ直進する道が、一般県道209号山ノ相川内ヶ巻停車場線。さあ、県道58号線の先へ進んでみよう。到着して、県道178号線の分岐点はひとまず置いておき、左側に橋が見える。この橋へ行ってみよう。
この橋が県道58号線の続きである。
橋台は4車線分の幅があるが、かかっている橋桁は2車線分である。将来を見越しての橋台なのだろうが、現状を考えると最初から2車線分で良かったような気がする。まだ開通してないわけだし、人家がないので、ここは通過地点になるだろう。そうすると4車線の道幅は、果たして必要だろうか?。まずは橋の確認をしなくては。興味津々で近づいてみると…
おおっと!通行止めの標識!。しかも、良い感じで「置いて」ある!
いいねぇ!。このいかにも「ダメっ!」って雰囲気と、標識が置いてあるという雑さ(笑)
しかも、この標識が地面に転がってた時期もあったのではないか?。路面にあるアヤシイ円形の跡が、それを雄弁に物語っている(笑)
さて、では橋の欄干を…「1994年3月完成」とある。…完成?珍しい表現である。
通常は「竣功」を使うのでは?。反対側を見ると…
「山ノ相川橋」とある。
この名前が橋の名前になっていると言うことは、この橋は街の中心を想定して作られたのだろうか?。この橋、ここに架かったのは良いものの、「県道の橋」としての役割は、これまで一回も果たしていないはず。少し物悲しい気がする。
橋に入って先に行ってみると、こんな感じ。行き先は森の中…だな(^^;
方向的には58号線の小千谷市側と、ピタリと合ってる。と言うことは、やはり…?
橋を渡って反対側から見ると路面に水たまりもあって、いかにも未成道らしい(笑)
…山ノ相川は、人もおらず犬も猫もいない場所だった。そこになぜ3本の県道(58号、178号、209号)の起点と終点が絡んでいるのか。それは、山ノ相川の歴史と合わせて完結編で解明するとして、一番引っかかるのは、この県道58号の明神側に架かっている最初の橋「よしがさわばし」の欄干にあった、「一般県道 明神下条停車場線」の文字。下条停車場(現在の下条駅)という言葉を考えると、県道178号山ノ相川下条停車場線は、最初はこの路線名だったのでは…?